ドン・カミッロ英語版wiki適当訳

 


 せっかく面白い作品なのに、日本語版wikiが無かったので、英語版wikiを適当に翻訳してみた。途中まで訳してイタリア語版を訳せば誤訳に指摘が入る可能性が減ったのにと思ったのは秘密。

ドン・カミッロ 概説
 ドン・カミッロはジョヴァンニ・グアレスキによって生み出された空想のカトリック聖職者の名前であり、またカトリック聖職者と共産主義の市長が対立する戦後イタリアのある街を描いた、ゆったり系物語の名前である。


説明

 ドン・カミッロ・タロッキ(これは彼のフルネームではあるが、作中にはほとんど登場しない)は、北部イタリア、ポー川流域の小さな街に住む、怒りっぽい神父である。彼はペッポーネ(乱暴に訳すと「ビッグ・ジョー」程度の意味であり、本名はジュゼッペ・ボッタッツィ)という共産主義者の市長と始終対立しており、また彼の街の教会の磔刑像と非常に親しい関係にある。ドン・カミッロは大男であり、背が高く、喧嘩にも強い。


 この物語の舞台である街は、グワレスキの物語を題材とした映画が製作された後、ブレシェッロという(実在の)街と同一視される様になったが、物語では当初、ポンテラット(おそらく架空の)という街の教区司祭として紹介されていた。


 ペッポーネとドン・カミッロに共通するものは、街をより良くしたいという思いである。彼ら両名はまた、共に戦時中ゲリラであったことが作中で明されており、ペッポーネが「保守反動主義勢力たち」はどのように撃ち殺されるべきなのかについてスピーチし、またドン・カミッロは「不道徳な共産主義者ども」を地獄の業火に投げ込むものであると説教しているにもかかわらず、二人はしぶしぶながら互いを尊敬さえしている。それゆえ、特定の状況において彼らは、もちろん口げんかを続けながらも、協力して活動することがある。ペッポーネは彼の一味を引き連れて教会に行き、そこで彼の息子に洗礼を受けさせた(言うまでもなく彼らの宗教的には対立することだ。どういうことなの・・・)が、その結果、彼の息子はドン・カミッロの面白仲間の一人となる。


 物語ではペッポーネや、その多くが複数回に渡って登場する他の共産主義者たちに共感的な記述がなされている。しかしながら、作中に登場する共産主義者たちは皆良い連中なのだが、むしろそうであるが故に、作者は政治的には共産主義に反対しているのではないかという疑いがなくはない。


 一連の書籍は明らかに共産主義政党と教会が共に強い草の根的支援を享受しており、実際に、対立する二つの派閥が互いをある程度認めざるを得ない社会を舞台としている。


 十字架像のキリストはしばしばドン・カミッロよりも人々の弱さについて良き理解を示し、それ故にいつも我慢のない司祭を優しく叱っている。このことはまた、物語が保守的な社会についても苦言を呈することを可能にする駆動力である。ドン・カミッロは折々に逆上し、時に殴り合いの喧嘩に巻き込まれ、また時には長いすを棍棒代わりに振り回すことになる。彼は二度、彼の振るまいについて、カトリック教会から叱責を受けることになる。


 According to Guareschi, priests could break their staffs on his back for Camillo and communists kick him blue for Peppone, but Christ's voice came from his conscience.


 物語の大半では世界の政治的な問題に言及されることはなく、現実のイタリア・ローマ・カトリック教会と、共産主義政党の間の政治的分断が風刺的に扱われている。残りの物語では、誰もが誰ものことを知っていて、しかし必ずしも誰もが誰ものことを好きでいるわけではないような小さな街での仲間割れや政治的目的での殺人、個人的復讐について語る。


 舞台の街は時に、現実的なポー川の氾濫に巻き込まれる。ドン・カミッロとペッポーネはしばしば互いを出し抜こうと試みるものの、それは予期せぬ結果に終わるか、街は政治家、枢機卿、あるいは他の町の若者たちといった訪問者を呼び寄せ、新たな問題を持ち込まれることになる。


 ドン・カミッロは一度、同志の振りをしてソビエト連邦を訪問する。ポップカルチャーと自動車が彼の地に押し寄せた時、ことにキリストが若いやんちゃ者たちにおおよそ好意的な態度を取るに至り、彼は力の限りを尽くして「文化的退廃」と戦うのである。この後期作品集において、60年代イタリアの潮流に従って、ペッポーネは利潤を上げている幾つかの特約販売網のオーナーとして描かれる。彼は既に、かつてそうだったような共産主義者ではまったくなくなっていたが、相変わらずドン・カミッロとうまくやっていくことはできなかった。少なくとも、公共の場では。ドン・カミッロ自身も問題を抱えている。第二回バチカン公会議によって教会が変質し、新しくドン・キキと呼ばれる助祭が登場したことは、ドン・カミッロという物語が時代と共に移り変わっていくことを示す。もちろん、ドン・カミッロ自身は全く違う意見を持っているのだが。


 ドン・カミッロが初めて現れるのは、1946年、グワレスキの風刺雑誌『カンディド(無邪気な)』においてである。雑誌に掲載された幾つかの物語には、彼とほぼ似通った性格のドン・カンディドと呼ばれる、トレビリエ(あるいはトレビッリエ)なる街の大司教が登場していた。この架空の街の名前は、リヴィーニョ近郊に実在する街トレパッレの駄洒落である。トレパッレの司教、ドン・アレッサンドロは、グワレスキの個人的知り合いであった。

Little World of Don Camillo

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