Guareschi, Don Camillo:MONDO PICCOLO 5.SCUOLA SERALE

ドン・カミッロ 第五話:夜間学校

 マントを羽織った男達の一団が、用心深く野原の道を進んでいた。闇は深かったが、彼らは土地の土くれから土くれに至るまでよく知っていたので、その足取りに不安はなかった。そうして街から半マイル離れた一軒家の裏手に辿り着くと、彼らは菜園の垣根を飛び越えた。
 二階の窓の鎧戸からは明かりがすこし漏れていた。
 「首尾は上々だ」 この小さな遠征隊の指揮官であるペッポーネは囁いた。「彼女はまだ起きている。襲撃は成功した。スピッチオ、お前がドアをノックしろ」
 一人の筋骨たくましい、長身で果敢な顔つきの男が進み出て、扉を幾度か叩いた。
 「どなた?」 扉の後ろから声がした。
 「スカルタッツィーニです」と男は返した。
 まもなく扉が開き、手に小さなカンテラを提げた、まるで雪のような白髪をたたえた小さな老婦人が姿を見せた。そこで他の男達も暗がりから現れ、玄関先に集まった。
 「この人たちはどなた?」と老婦人は訝しげに尋ねた。
 「私の仲間です」 スピッチオは説明を始めた。「全員、私の友達なんです。私たちは重要な話をしなければなりません」
 黙りこくって不安げに眉をひそめた10人の男達は、マントも脱がないままで、老婦人の腰掛けた書斎机のある清潔な小部屋に通された。老婦人は眼鏡を取り出し、黒いマントの中から現れた顔という顔をしげしげ眺めた。
 「おやまあ!」
 そう呟いたのは、彼女は彼らについて何から何までよく知っていたからだった。彼女は八十幾つの年寄りだが、まだそれが大都会だけで教えられていた時代に、この街でABCの講義を始めたのである。彼女は父親たちに教え、その子たちに教え、その子たちの子たちに教えた。カボチャどもを鞭で叩き叩き、街で一番重要な仕事に尽力したのが彼女だった。少し前に教職を退き、この町外れの一軒家に一人住まいをしているけれど、彼女には家の玄関に鍵をかける必要も実際はないのだった。”クリスティーナ女史”は国民的な記念碑であり、彼女に指一本触れようとするものなどは、誰もいなかったからである。
 「それで、どうしたんです?」 クリスティーナ女史は尋ねた。
 「大事件が起こったのです」 スピッチオが説明した。「街で行われた選挙の結果、社会主義者たちが勝利しました」
 「ろくでもない連中だわ、社会主義者たちというものは」 クリスティーナ女史は切り捨てた。
 「その、勝利した社会主義者たちというのは、私たちなのです」 スピッチオは続けた。
 「ろくでなしには変わりないわ!」 クリスティーナ女史は繰り返した。「1901年、あなたの父親とかいうあの阿呆は、教室の十字架を取り外そうとしたのよ」
 「昔のことです」 スピッチオは言った。「今ではそんなことはしません」
 「それはよかったこと」 老婦人は呟いた。「それで、話っていうのは?」
 「ええ、問題のあらましはこうです。私たちは確かに勝利しましたが、二人の少数派議員と、二人の極右議員もまた当選したのです」
 「極右ですって?」
 「はい、二人の反動主義者です。スピレッティ氏と騎士ビニーニ氏・・・」
 クリスティーナ女史は笑いながら言った。
 「もしあなたたちが真っ赤な社会主義者だっていうなら、彼らは黄疸の黄色ってところよ! 馬鹿げたことを言う前に、もう少し考えてごらんなさい」
 「まさにその件で、私たちは来たのです」 スピッチオはぼそぼそとこぼした。「あなたを訪れるほかに手がなかった。というのも、信頼できるのはあなただけだからです。お分かりいただけますでしょう? 謝礼はいたしますから、ぜひとも助けてください」
 「助けるですって?」
 「議会の閣僚がここに全員揃っています。夜遅くこの野原を訪れた私たちのため、あなたにはちょっとした仕事をしてもらいたいのです。つまり、私たちが読まなければならない報告書を吟味し、私たちの分からない言葉を説明してもらいたい。私たちは私たちが知りたいことだけしか知りませんし、私たちには持って回った文学的表現などといったものは無用なのですが、あの二人の老いぼれに公衆の面前で馬鹿にされないためには、気取った話し方が必要なのです」
 クリスティーナ女史は重々しく頭を振った。
 「もしあなた方があの頃、悪さばかりするかわりに勉強をしていれば、今頃は・・・」
 「ご婦人、もう30年前の話ですよ・・・」
 クリスティーナ女史は眼鏡をかけた。すると、背筋はしゃんと伸び、まるで三十歳若返ったように見えた。
 「席に着きなさい」 クリスティーナ女史が告げ、全員は椅子や長いすの上に座った。
 クリスティーナ女史はカンテラを明るくし、10人の顔を順に眺めて、無言で点呼を行った。それぞれの顔からは懐かしい名前が思い出され、彼らの恋人たちのこともまた浮かぶのだった。
 ペッポーネは薄暗い一角に、少し居心地悪そうな様子でいた。
 クリスティーナ女史はカンテラを持ち上げ、また下に置いてから、今度は骨張った指を持ち上げて、荒々しい声で宣言した。
 「あなたは、出て行きなさい!」
 スピッチオが何か言おうとしたが、クリスティーナ女史は頭を振り、声高に告げた。
 「私の家の中には、たとえ写真の一枚たりとも、ペッポーネは入れません! あなたは非礼が過ぎました、若い衆。あまりに何度も、またあまりに度が過ぎていた。さっさと出て行って、二度とその顔を見せないように!」
 スピッチオは悲嘆に暮れて両手を広げた。
 「クリスティーナ女史、どうしたっていうんです。彼は市長なんですよ?」
 クリスティーナ女史は立ち上がり、長いばちを恐ろしげに振り回した。
 「市長だろうと市長でなかろうと、さっさと出ておゆき。さもないとその頭がカボチャみたいになるまでこのばちをくれてやるから!」
 ペッポーネは立ち上がり、退出しながら言った。
 「いったろう? 俺は昔やりすぎたんだって」
 「ついでに覚えておきなさい。例えあなたが文部大臣になったとしても、この家には一歩たりとも踏み入れないように、このロバめ!」
 クリスティーナ女史は彼をそう脅しつけ、腰をおろした。


        *        *        *


 祭壇に灯された二本の大蝋燭の明かりだけが照らす、がらんとした聖堂で、ドン・カミッロは十字架のキリストとおしゃべりをしていた。
 「あなたのみ心を批判するほど自信家ではありませんが」 彼は適当なところで話をまとめた。「しかし私には、まっとうに読み書きできるのがたった二人だけの議会だの、ペッポーネ市長だのなんていうのは、どうにも認められそうにありません」
 「世の風潮というものは、そんなものに左右されないよ。ドン・カミッロ」 キリストは微笑みながら答えた。「考え方だけが重要なのだ。どんな美しい議論だとしても、美辞麗句の底に実際的な思想がなければ、なんら結論は出るまい。先入観を捨てて、彼らがどんなふうにやるか見てみよう」
 「仰るとおりですとも」とドン・カミッロは賛成した。「単純な話ですが、もしも我々を支持する候補が当選していたなら、あの鐘突き堂がきっちり立て直されたであろうことを私は自信を持って明言できました。しかし実際には、どんな形であれ、あの塔が倒れたのち、この街には色んな施設を備えた巨大な公民館が現れます。つまり、ダンスフロアや酒場や賭博場や雑多な劇が上映される劇場や・・・」
 「そして、ドン・カミッロのような有毒の蛇を閉じ込めるための檻も」と、キリストが締めくくった。
 ドン・カミッロはうなだれた。彼はこんなふうに意地悪を言われるのが好きではなかったからである。だが頭を上げて、彼は言った。
 「あなたは私を誤解しておられます。私にとって重要なことはただ葉巻だけだとお考えなのです。いいでしょう、この最後の葉巻を私がどうするか、ご覧になってください」
 彼はポケットから葉巻を引っ張り出すと、その巨大な手で粉々に砕いた。
 「偉いぞ」 キリストは言った。「偉いぞ、ドン・カミッロ。お前の犠牲は確かに受けとった。だが、加えて、それを投げ捨てるところを見せて貰おう。ポケットの中にしまっておいて、あとでパイプで吸ったりしないように」
 「だってここは聖堂の中ですよ?」 ドン・カミッロは反論した。
 「ドン・カミッロ、心配せずともよい。あのすみっこに捨ててくるのだ」
 キリストがにこにこと見守るなか、ドン・カミッロは使命を果たした。ちょうどその時、聖具室の呼び鈴が鳴るのが聞こえ、ペッポーネが入ってきた。
 「今晩は、市長さん」 ドン・カミッロは、とても慇懃な調子で怒鳴った。
 「聞いてください」 ペッポーネは語り始めた。「あるキリスト教徒が彼の行いに”疑い”を感じ、それを告げるためにあなたのもとを訪れたとして、あなたがその行いに”過ち”の存在を認めた場合、あなたはその点を、あるいは快く、指摘してくれるでしょうか」
 ドン・カミッロはうんざりした。
 「どうしてわざわざ聖職者の廉直さを疑おうとするんだね? 司祭の第一の義務というものは、告白者が犯した過ちの全てを明らかにすることなのだから」
 「よろしい」 ペッポーネは言った。「あなたは私の告白を受け入れる用意ができているんですね」
 「できているとも」
 ペッポーネはポケットに手を入れると、分厚い原稿の束を取り出し、読み始めた。「”町民たち、今のこの時、立候補者の肯定的な勝利を歓迎しよう・・・”」
 ドン・カミッロは手を一振りして朗読を止めさせると、祭壇の前に行って跪いた。
 「イエス様、私はこれ以上私の行いに責任が持てません!」
 「私が責任を持とう。」 ぶつぶつと呟くドン・カミッロに、キリストが答えた。「ペッポーネがお前に身を委ねた以上、お前は誠実に誤りを指摘しなければならない。お前の職責に従って振る舞うのだ」
 「しかしイエス様」 ドン・カミッロは食い下がった。「あなたは私がアジ演説に荷担するべきだと思われるのですか?」
 「お前は単に、文法や統語法、そして単語の綴りについて作業するのだから、べつに邪悪なことでも、異端的なことでもあるまいよ」
 ドン・カミッロは眼鏡をかけ、鉛筆を掴んで、翌日ペッポーネが全てを読み終わるまでの気の遠くなる時間を、立ったまま過ごした。
 ペッポーネは重々しい調子で原稿を読み直した。
 「結構です」 彼は出来に満足して言った。「ただ一点だけ分からないことがある。もともと”我々は学校を拡充し、フォッサルト川の橋を修繕するつもりである”と書いてあったところを、”我々は学校を拡充し、鐘突き堂とフォッサルト川の橋を修繕するつもりである”に書き直したのはどうしてなんです?」
 「それはひとえに統語法的な問題だ」 ドン・カミッロはごく荘重な調子で答えた。
 「あなたが羨ましい。ラテン語も読めるし、言葉の綾というものを知っている」 ペッポーネはため息をついた。
 「まあこうして、君たちの頭上に塔が崩れ落ちるという望みもまた潰えた」 ドン・カミッロはそう付け加えて、腕を広げた。「神のみ心に感謝し、跪きましょう」
 ペッポーネを玄関まで見送った後、ドン・カミッロは挨拶をするためにキリストの前に戻った。
 「よくやった、ドン・カミッロ」 キリストは微笑みながら言った。「あの時まで、私はお前を見損なっていた。お前が最後の葉巻を捨てるはめになったことを申し訳なく思う。不要な犠牲だった。だが、率直に言おう。お前があんなに苦労したのに、あのペッポーネが葉巻の一本もお前によこさなかったのは、いかにも野蛮な振る舞いだったな」
 「まあ、もうなんだっていいですよ」 ドン・カミッロは大きなため息をつくと、ポケットから一本の葉巻をほじくり出し、手で握りつぶそうとした。
 「待つのだ、ドン・カミッロ」 キリストは笑いながら言った。「あっちでゆっくり吸っておいで。お前にはその権利がある」
 「しかし・・・」
 「いやいや、ドン・カミッロ。お前は盗んでなどいないぞ。ペッポーネはポケットに葉巻を二本持っていた。ペッポーネは共産主義者だ。お前が抜け目なく抜き取った一本は、お前の取り分にすぎないよ」
 「この手の話をさせれば、あなたに敵う人はいませんとも」 ドン・カミッロは大いに感心した。



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訳注と解説
 今回は色々と訳しにくい要素が登場します。まずは真っ赤な社会主義者と黄疸の黄色について。後者はどんなものかよく分かりませんが、これは一般的に社会主義者をアカというのに掛けた表現です。ちなみに極右のことをイタリア語ではネロ(黒)と呼びます。赤、黄、黒、という色使いネタです。
 ドン・カミッロの「あなたのみ心を批判する云々」の行は、この世の全ての出来事は神の意志に沿ったものである、というキリスト教の考え方を下敷きにしています。つまり、ペッポーネを勝たせた黒幕はキリストであるとも言えるわけで、ドン・カミッロにはそれが全く納得いかないのでした。

あるキリスト教徒が彼の行いに”疑い”を感じ、それを告げるためにあなたのもとを訪れたとして、あなたがその行いに”過ち”の存在を認めた場合、あなたはその点を、あるいは快く、指摘してくれるでしょうか


 この部分は、信者から信仰上の迷い(すなわち”疑い”)、あるいは罪の行い(すなわち”過ち”)に関する告白を聞き、それらに適切な返答と対処を提案しなければならない、というカトリック聖職者の義務を逆手に取った、ペッポーネの狡猾な罠です。つまりドン・カミッロはペッポーネの告白を宗教的な懺悔だと思い込んだため、彼の作文の誤りの訂正に付き合わされるはめになりました。

「あなたが羨ましい。ラテン語も読めるし、言葉の綾というものを知っている」 ペッポーネはため息をついた。
「まあこうして、君たちの頭上に塔が崩れ落ちるという望みもまた潰えた」


 この部分は言葉の綾を意味するsfumaturaと、消え失せる(潰える)を意味するsfumareを掛けた言葉遊びのため、訳すと今ひとつ意味不明な、というより唐突な文章になっています。ペッポーネが反応しなかったのも、おそらく何のことか分からなかったからでしょう。

 なお、何度か出てくる鐘突き堂というのは、次回第六話でも登場しますが、教会の鐘楼で、あいにく大きなヒビが入っていて、今にも倒壊しそうな状態です。ペッポーネにしてやられたドン・カミッロですが、抜け目なく「鐘突き堂を修理する」の文言を差し込むことに成功して一矢報いました。「統語法云々」というのは、勿論ドン・カミッロの出任せですが、全くのウソとも言えない、というのがイタリア文学のインチキ臭さです。