Guareschi, Don Camillo:MONDO PICCOLO 7.INCENDIO DOLOSO

ドン・カミッロ 第七話:放火

 町外れの古い家が突然燃え始めたのは、ある雨の夜だった。
 それは毒蛇だらけであるとか、幽霊がうじゃうじゃいるであるとかで、街の住民は昼間でも近づくのを躊躇っていた、荒れ山の頂に長い間放置されていた古い砦である。不思議なことに、空き家になる際に全ての窓枠が取り外されて(もしかすると風雨で失われたのかもしれないが)以来、この石造りの巨大な建築物には、木材やもっと細かな部品がそのまま残されていた。ともあれ今や、その家もまるでたき火のように燃えていた。*1
 多数の住民が道まで降りてきて、よく見るために街はずれに集まっていたが、衝撃を受けないものは誰もいなかった。*2
 ドン・カミッロも辿り着き、古い家まで続く馬車道にひしめく、口さがない群衆の仲間入りをした。
 「きっとどこぞの素敵な革命的思考の持ち主が、何か彼らの革命的な記念日を祝うためにあばら屋に藁を詰めて火をつけたんだろう」 ドン・カミッロはそう大声で語り、人々を押しよけて一団の前に分け入った。「何か言うことはあるかね、市長さん」
 ペッポーネは振り返りもせず、ぶつぶつと答えた。
 「俺が何を知っているっていうんだ?」
 「市長はなんでも知っているものだろう」 ドン・カミッロは調子にのって続けた。「今日は何か、歴史的な事件でも?」
 「冗談でもそのようなことは仰らないでください。さもないと明日には、我々がこの呪われるべき事件を何もかも仕組んだのだと町中で噂になってしまいます」 社会主義者たちのイベントの度に、ペッポーネの隣に立って行進しているブルスコが割って入った。
 馬車道は両脇の生け垣がなくなるとまもなく、まるで旧約聖書の荒れ野のように丸禿げの台地あたりで消え失せており、まさにその台地の中程に件の古い家が建っていた。家までの距離は約300メートルであり、ここからは大きな松明のように見える。ペッポーネが立ち止まると、人々は左右に広がった。
 一陣の風が煙の雲を人々の方へ押しやった。
 「藁だけじゃないぞ。石油の匂いだ」
 人々は興味深げに囁き始め、一部にはもっとよく調べようと前に進み始めるものもいたが、大声での一喝に皆ひるんだ。
 「馬鹿げた真似はやめろ!」
 人々は街のはずれに、つまり前線を取り囲んで立ち止まった。どこかの部隊が、または盗人が、石油あるいはガソリンをそこに貯蔵していたのかもしれないのだった。誰にも保証はできない。
 ドン・カミッロは笑い出した。
 「空想もほどほどにしてくれ! 私はこの事件に納得できないし、何が起こっているのかこの目で見に行きたいね」
 彼は決然と群衆から離れ、早足で砦へ向かった。ペッポーネが何とか彼に追い付いたのは、もはや砦から100メートルほどしか離れていない場所である。
 「下がってください!」
 「いったいどんな権利があって、私のやることに口だしするんだね?」 ドン・カミッロは帽子を後ろに投げつけ、腰に握り拳を当てながら、乱暴に答えた。
 「市長としてあなたに命令します! 私は市民が愚かにも危険にさらされるのを見過ごすことはできません」
 「どんな危険があるっていうんだね?」
 「あの石油やガソリンの匂いに気付かないんですか? あの家の中に、どんな危険なものがあるか知らないでしょう?」
 ドン・カミッロは疑わしげにペッポーネを見つめた。
 「で、君は何を知っている」
 「俺? いや私は何も。しかし私にはここを警備する義務があるのです。既に石油があると分かっている以上、中にはもっと別のものもあるかもしれません」
 ドン・カミッロは再び笑い始めた。
 「よーく分かった。ねえ君、今がどんな状況か教えてあげようか。すっかり怖じ気づいた君は、リーダーが市民的勇気についての教えをドン・カミッロのような反動主義のクソ坊主から受ける姿をせっせと部下に見せているんだ」
 ペッポーネは拳を握りしめた。
 「昔、俺の部下たちが山岳地帯で仕事をしていた時に・・・」*3
 「今は平野での話だよ、同志市長。山での勇気と平野の勇気は違うんだ」
 ペッポーネは両手に唾を吐きかけ、胸を膨らませて、燃える家に向かってのしのしと歩き始めた。腕を組んだままだったドン・カミッロは15メートル遅れてそれに続いたが、間もなくペッポーネに追い付いて並んだ。
 「止まれ!」 ドン・カミッロは腕を掴みながら言った。
 「邪魔をするな!」 ペッポーネは身をよじらせて逃れながら叫んだ。「あんたは花壇のゼラニウムに水でもやりに帰ればいい。俺は行く。私とあんた、本当に怖がっているのはどちらなのか、今こそみんなが知るんだ」
 ドン・カミッロはいっそ拳に唾を吐きかけたい程だったが、自分が司祭長であることを思い出して留まり、胸を膨らませて握り拳を腰にあてて火事へと向かった。
 ドン・カミッロとペッポーネが肩を並べて歩いているうちに、家までの距離はどんどん縮まり、もはや炎の照り返しを感じるほどになっていた。一歩一歩、握り拳とかみしめた歯には力がこもり、二人は横目で相手を窺いながら、互いに相手が先に立ち止まることを祈っていたが、結局はこうして二人とも一歩ずつ互いを前進させるはめになった。
 80メートル,70メートル,60メートル、50メートル。
 「止まれ!」
 その時、逆らわずにはいられない調子の声がどこからか響いた。二人はまるで同時にピタリと止まり、それから同時に回れ右をして、稲妻のような速さで逃げ出した。
 10秒後、とてつもない爆発が夜の静寂を引き裂き、空高く舞い上がった砦の破片は、まるで炎の花のように見えた。
 二人が正気に戻ったのは、道の真ん中でへたり込んでからだった。人々は全員ウサギのように家に逃げ帰っており、あたりには人影一つ見あたらなかった。
 二人は無言のまま、野原の抜け道を並んで歩いていたが、やっとペッポーネが呟いた。
 「あなたを先に行かせたまま放っておけばよかった」
 「まったく同じことを今考えていたところだ」 ドン・カミッロは答えた。「偉大な機会が失われた」
 「もしあなたを行かしていれば、世界最悪の極右が空に舞う素晴らしい姿を拝めたのに」
 「そんなことはないね」 振り向きもせずにドン・カミッロは言い返した。「200メートル手前で私は止まっただろうから」
 「なんで?」
 「なぜなら、あの古い砦の地下室には、6つの石油タンク、95挺の軽機関銃、285個の手投げ弾、2箱の弾薬入れ、7挺の重機関銃、300キロのトリット高性能火薬があったからな」
 ペッポーネはびっくりして立ち止まり、目を見開いてドン・カミッロを見つめた。
 「何も驚くことはない。」 ドン・カミッロは説明した。「火をつける前に、ちょっと勘定しておいただけのこと」
 ペッポーネは拳を握りしめた。
 「今すぐあなたを殴り殺したいよ」 奥歯をギリギリ言わせながらペッポーネは叫んだ。
 「気持ちは分かるが、ペッポーネ。私を殺すのはそう簡単じゃないぞ」
 二人は再び歩き出したが、少ししてペッポーネが立ち止まった。
 「つまり、そうすると、あなたはあそこに危険物があることを知りながら、それでも50メートルまで近づき、しかもあの制止の声が無ければ、もっと先まで行っていたってことか!」
 「そうとも。君が知っていたのと同じくらい、私も知っていたんだ」 ドン・カミッロは答えた。「我々に勇気がありすぎるのも困りものだな」
 ペッポーネは頭を振った。
 「しかし、二人とも無事なんだから、何も言うことはない。一つ残念なのは、あなたが我々の仲間ではないことだ」
 「まったく同感だ、君が私たちの側の人間だったらよかったんだが」
 司祭館の前で二人は別れた。
 「実際、あなたは良いことをしてくれたのかもしれない」 ペッポーネは言った。「あそこに置いてあったシロモノは、俺にとって一種ダモクレスの剣みたいな心配事だったから」
 「歴史から学びながら、ゆっくり行くがいいよ、ペッポーネ」 ドン・カミッロは返事をした。
 「ところで」 ペッポーネが振り向いて続けた。「あなたはあそこに7挺の重機関銃があったと言ったけれど、本当は8挺あったはず。誰が持っていったのかな?」
 「私だ。プロレタリア革命が勃発したなら、司祭館は遠く避けて歩くといい」
 「地獄でまた会おう」 ペッポーネはそう言い残して立ち去った。
 ドン・カミッロは祭壇の前に行き、跪いた。
 「ありがとうございます。あの時、”止まれ”と言ってくださり、感謝しています。あれがなければ、私は今頃ペーストになっていたでしょう!」
 「それほどでもないよ」 キリストは微笑みながら言った。「おまえはあすこに何があるか知っていた。歩き続けることは自殺に他ならないとなれば、私の制止がなくても、おまえはきっと後戻りしていたさ、ドン・カミッロ」
 「まあそうですけれども。なんにせよ自身の信条を頼りにし過ぎることはよくありません。プライドは時に身を滅ぼします」
 「ところで、あの重機関銃についての話は? おまえはそんな呪われた機械を拾ってきたのかね?」
 「いいえ」 ドン・カミッロは答えた。「8つの重機関銃は8つともお空に飛んでいきましたとも。しかし、教会の中に重機関銃が一つあると彼らに信じさせておくことは、何かと便利でしょう」
 「なるほど」 キリストは言った。「よろしい、それが本当であれば。しかし問題はだ、あのペッポーネさえお前の言ったことを信じてしまったぞ。お前はどうしてそんなに嘘つきなんだろうね、ドン・カミッロ」
 ドン・カミッロは両手を広げた。



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訳注と解説
 相変わらずオチがあまり上手くない回です。しかしドン・カミッロはついに放火までやり始めました。はやくなんたらかんたら

*1:日本は木の文化、西洋は石の文化と言われますが、例えばあの石造りの壮麗な大聖堂も、その天井を支えるのは実は木の骨組みです。だから火事になったら良く燃えて、天井が落ち、壁と柱が焼け残ります。この場合は、家を放置して、しかも窓の木枠を持っていく余裕があったのに、なぜ家を解体して材木等再生可能な部品を回収しなかったのか、という謎が、何やら恐ろしげな想像をかき立てます。

*2:イタリアの古い町並み、いわゆる旧市街と呼ばれるような地区は、領主の館、あるいは中央広場を中心に密集した集合住宅が立ち並びます。街壁内部の限られた空間を有効利用するために、生活空間は上に上に伸びていきますから、三階建て四階建ては当たり前になります。「道に降りる」という言い回しは、このあたりから来るのでしょう。ちなみに、それでも間に合わなくなると、住宅の壁自体を街壁として、本来の街壁の外に展開していきました。自然、元からある道に沿って家が建つのではなく、むしろ家と家の隙間が道になります。アメリカ開拓村みたいなありさまな和製ファンタジーRPGの町並みには、もう少しこのあたりの事実を踏まえていただきたいものです。

*3:今でこそ社会主義者のリーダーですが、大戦中ペッポーネは熱烈な愛国者として戦っていた男です。実際に、ペッポーネが万国の労働者よ連帯せよ、などと演説している際、ドン・カミッロがイタリア軍歌を放送したところ、いつの間にかビバイタリアと叫びながら全員が戦没者慰霊碑まで行進する、というお話もあります。何にせよこれはイタリアの社会主義者はしばしば元々熱烈な愛国者だという事実へのグワレスキ流の皮肉でしょう。この台詞は、「山で仕事を」と言っていますが、実際には山岳地帯での戦闘行動中に、何らかの事故で火器類が爆発し、部下を失ったという話なのでしょう。しかし、”同志”としてそれを公にできないペッポーネの良心的苦悩が覗えます。