収束する終末、FATE/ATARAXIA

しかし、ループの限界は徐々に明らかになる。2005年末に発売されたFATE/ATARAXIAはをそのことを明らかに指摘した。無限に見える要素の組み合わせも、やはり無限ではないのだと。何度も繰り返し演じられる世界は徐々にその初演の可能性を失う。あるいは拡散し続ける要素は、いつか意味を持たぬレベルに辿り着く。世界は陳腐化し、存在するのに見向きもされなくなる。だからこそ「その前に」物語を意図的に終わらせないといけない…。それは楽しい夏休みの終わりである。けれど、仕方がない。


そこで語られたのは、苦い判断としての結末。それ以下にならないための手段だった、とも言える。それを視覚的にイメージさせるため、FATEはステンドガラスの薔薇窓*1という手法を使う。ループする物語がその要素を使用し終わるごとに、窓は徐々に色付いていく。パズルとして世界にちりばめられた物語世界の秘密が、窓の絵を埋めていく。全ての必要な要素が満たされた時、その美しい薔薇窓は完成するのだけれど、それは世界の終焉を意味する。ループの終了と引き替えに読者に提供されたものは、砕け散る薔薇窓の煌めきだった。


しかし注目すべき点。FATEはこの場面において、確かに、「収束する結末」というものにある種の美しさを与えている。それは嫌だけれど、いつか立ち向かわなければならず、そして何よりも美しい。彼らはそれ以上先に進むことができなかったとしても、FATE/ATARAXIAという作品はエヴァンゲリオンの生み出した壮大な夏休みにヒビを入れた。パズルとして世界を埋めていく行為、拡散した要素を収束することを、いまだ悲しい宿命だと認識していたとしても、彼らは確かに「終わりの時」を告げた。

*1:カトリック教会などの正面に見られる円形の大窓。