2006-06-09から1日間の記事一覧

 京都アニメーション

京都アニメーション褒めっぱなしですけど、僕がこの会社を好きになったのが、『フルメタルパニックふもっふ』ってアニメからなんですね。もちろんテクニックもあったし、構成も上手でしたが、なにが一番良かったかって、絶対パンチラしないんですよ。どんな…

 いつかある晴れた日, いまだ見ぬ最終回へ

読者は知っている。語られたすべての物語はいつか終わるのだということを。それは死への恐れにに似て、読者をその事実から引きはがそうとする。けれど上質の物語においては、すべての物語が語り終わられたその時こそ、読者は物語の全貌を把握したうえで、自…

 Someday in the Rain, 誰かの憂鬱

そしてハルヒに至り、京都アニメーションは「結末は終わりと同義ではない」という認識を明示的に展開する。もう周知の事実となっているが、放映第9話とは作品内の「時間軸において」は最終話なのである*1。彼らによってシャッフルされた物語構造は、その作…

 収束する終末、FATE/ATARAXIA

しかし、ループの限界は徐々に明らかになる。2005年末に発売されたFATE/ATARAXIAはをそのことを明らかに指摘した。無限に見える要素の組み合わせも、やはり無限ではないのだと。何度も繰り返し演じられる世界は徐々にその初演の可能性を失う。あるいは拡散し…

 エヴァンゲリオンという拡散

エヴァンゲリオンが引き起こしたもの、それはおたく文学における結末の否定と要素の拡散である。そこで語り手は彼が作中世界に提示した物語要素をその結末においてほとんど収束しない。故に物語が語り終えられた後、世界の廃墟には数多くの回収されぬ要素が…

 エポックとしての涼宮ハルヒ・アニメ

この作品の演出であり重要な構造である「時系列と物語の分離」は①おたくメディアにおける物語の結末とは何か②パズルを詰めて行く先には何があるのか、のそれぞれに対して挑戦的な試みだと言える。前者に関しては図らずもエヴァンゲリオンがアイ・オープナー…