わた春香さんと普遍論争

 タクヲPの新作見ましたか。僕は見ました。物語はさっぱり分からなかったけれど春香さんは可愛くて綺麗で凄かった。直接問いただしてみたら「うちの春香さんはゆきぽに穴掘らせて潜る」んですって。僕には分かりません。


THE iDOLM@STER 天海春香 「サンデイ」‐ニコニコ動画(ββ)THE iDOLM@STER 天海春香 「サンデイ」 - ニコニコ動画


 ところでこの動画のラストシーン、印象的な赤い薔薇の意味が貴方には理解できましたか? わからない? 薔薇の花言葉はわた春香さんは可愛いですよね。そこで本題に入りましょう。普遍論争です。


薔薇の名前〈上〉

薔薇の名前〈上〉


注:春香さんを知らない人は、まず以下のgouzouPの作品を見てください。


 アイマスヒロインの中で、春香さんだけが妙な扱いを受けるのは、今では良く知られた事実です。他のヒロイン達がループする世界から退場していくのに対し、春香さんだけは何故か置き去りにされます。

 置き去りにされた春香さんはどこへ行ったのか。考えてみたことはあるでしょうか。つまり、春香さんは何人いるのか。そして、この点に関して興味深い提案を試みているのが、ななななな〜P、『灰春香と春香』です。


アイドルマスター 灰春香と春香‐ニコニコ動画(ββ)アイドルマスター 灰春香と春香 by ななななな~ - ニコニコ動画


 結論から先に言うと、灰春香の世界では、春香さんは複数います。新しい一年が始まる度に新しい春香さんが現れ、必ずあの結末を迎え、灰春香として舞台を去ります。

 それに対し、多くの作品は、意識的かそうでないかは別にして、春香さんを同一人物として、つまり一人の春香さんが何度も繰り返し登場するものとして扱います。以下はDikePの『Seasons of Love(RENT)』。


アイドルマスター Seasons of Love(RENT)‐ニコニコ動画(ββ)アイドルマスター Seasons of Love(RENT) - ニコニコ動画


 終わって、また始まる。普通はそれで良いのです。問題は、春香の古い一年はどこで終わるのか。この疑問に対して、DikePの一年という時間、それ自体に価値を見いだそうとする努力は、まさに涙ぐましいレベルに達しています。

 ファン世界の外に目を転じてみると、今や公式の描く春香さんは、中村繪里子と半ば融合する形で、無印アイマス物語から完全に解放されています。彼女は明るく楽しい、一人のおもしろアイドルとして円かであり、影一つ見えません。


【第2回MMD杯本選】ホメ春香&やよいのスイーツ教室‐ニコニコ動画(ββ)【第2回MMD杯本選】ホメ春香&やよいのスイーツ教室 - ニコニコ動画

 まど......か...?


 いや、とにかく、こうしたループを超越する春香さんの姿とは対照的に、無印アイマスの中に登場する春香さんは、強くあの結末に縛られ続ける。例えば冒頭で紹介したタクヲPの作品のもたらす不安感は、この記憶を刺激するものでしょう。

 プレーヤーの数だけアイドルがいる、とはよく言われる言葉です。しかし春香さんの場合はさらに、プレイヤーはプレイした数だけ春香さんをあの世界に生み出しかねない。なぜなら、彼女の一年は、彼女が待つと宣言することでリセットを拒否しているからです。

 いくつかの作品は、他のヒロインとの結末を間接的に春香さんの待機解除に利用しました。なんちょPの『Pへの恋歌 NAO』を例として挙げましょう。彼女の物語は、悲しいけれど、とにかく一つの終わりを告げることを許されます。


アイドルマスター 春香 Pへの恋歌 NAO‐ニコニコ動画(ββ)アイドルマスター 春香 Pへの恋歌 NAO - ニコニコ動画


 メイPが『HAPPY DANCE』で示したアイデアもまた、ある種悲しい解決策と言えるかもしれません。春香さんが待っている場所は53周目以降です。365日を繰り返すゲームの外。ならば、53日目で彼女という存在を消去してしまえばいい。待たせなければいい。

 このアクロバティックな解決策は、彼がこのMAD作品を製作するために使用した春香ユニットを、作品完成を前に消去するという姿で描かれます。春香さんは自らの結末を見ることができません。ただその思い出の結晶だけが、MADとして僕らの目に映ります。


アイドルマスター HAPPY DANCE - haruka last day - [1M ver]‐ニコニコ動画(ββ)アイドルマスター1 HAPPY DANCE - haruka last day - [concrete] by メイ - ニコニコ動画


 いずれにせよ、無印を繰り返すだけでは、春香さんの物語に終わりは絶対に来ない。明らかに過剰なセンチメンタリズムだとしても、多くのプレーヤーが共有する漠然とした不完全燃焼の理由がここにあります。春香さんは待っている。そしてその場所に、手が届かない。

 このジレンマは、実は今も解決されていません。プレーヤーがそれに慣れ、あるいは忘れつつあるだけです。「みんなは黒春香さんを忘れてしまったのかな」と呟いていたタクヲPは、しかし、MSC3という舞台で、それを再び提示するのです。


 


 わた春香さん現象。「わたしをお忘れでないかい?」としゃしゃり出る春香さんを複数の投稿者=わた春香さんがあらゆるシチュエーションに描くことで、単なる春香さんの自作自演ネタでしかなかったそれは、単一の愉快なキャラクターとして成立しました。

 ファンの思惑が絡まり合うことで、なぜか春香さんが愉快なキャラクターとして結実する流れは、MADの世界だけではなく、掲示板の世界にも存在します。公式の朗らかな春香さん、それが受け入れられることは、両者と無関係ではありません。


アイドルマスター春香コミュ 桜の咲く頃83‐ニコニコ動画(ββ)アイドルマスター春香コミュ 桜の咲く頃83 アイドルマスター/動画 - ニコニコ動画


 あの結末をどうすれば受け入れられるのか。この難問を巡り、これまで多くのファンが情熱を注いできました。様々なアイデアが示され、それぞれに説得力を持ちます。それを反映するかのように、公式春香さんは満面の笑顔で笑っています。

 しかし公式が描く、幸せな一人の春香さんは、果たして全ての春香さんを、あの結末に胸を痛めた、全てのわた春香さんを救うことができるのでしょうか。あるいは春香さんは元からただ一人だから、そんな疑問は意味がないのでしょうか。


アイドルマスター IMMORAL(川田まみ) Ver.1.2‐ニコニコ動画(ββ)ログイン - niconico


 幾人もの”ななしP”が味わった結末、「あの日の春香さん」は存在するのか、それとも、ただ「春香さん」が存在するのか。これがつまり、普遍論争です。

「その薔薇のその名前(Il Nome della Rosa)」とは、「その名前」が普遍観念で実在か、「その薔薇」こそが具体的事物で実在で、「その名前」は形式に過ぎないのか。バスカヴィルのウィリアムは唯名論の立場で、後者である。しかしメルクのアドソは晩年に至って、師の教えに反し、「その名前」が実在である、つまり実念論の立場に転向した趣旨が小説の「最後の頁」で示唆されている。


 stat rosa pristina nomine, nomina nuda tenemus. 本来の薔薇は名前たちに留まり、私たちは一つ、ありのままの名前を持つ。薔薇の名前』の最終行と、うにPの『春香サンの隠しコミュ「ゲーム出演」』をもって、この文章を締めくくることにしましょう。


アイドルマスター 春香サンの隠しコミュ「ゲーム出演」‐ニコニコ動画(ββ)ログイン - niconico


 わた春香さんはかわいいですよね。