エヴァンゲリオンという拡散

エヴァンゲリオンが引き起こしたもの、それはおたく文学における結末の否定と要素の拡散である。そこで語り手は彼が作中世界に提示した物語要素をその結末においてほとんど収束しない。故に物語が語り終えられた後、世界の廃墟には数多くの回収されぬ要素が漂ったままとなる*1。そうしたおたく物語の爆発痕、結末という名の拡散がまき散らした世界の破片*2、その組み合わせが易々と新しい世界(作品)を生み、同様に終了/拡散を繰り返すことで順調におたく物語の星くずを増やした。


結果ビジネスとしてのおたく産業が成長した点は否めない。そこには新しい始まりのための十分な素地が生まれたとも言える。まぎれもなく「終わらない日常」がそこにはあった。どこかでみた風景が繰り返される。それはまさしくいつか見た要素だったのだけれど、十分に数多く投入された新しい要素とその組み合わせが生む斬新さはいつも楽しかったし、何よりもその日常を望んだのはおたく自身だった。収束する結末の否定によるループ。それはとても楽しい夏休みで、できれば終わりたくはなかった。

*1:むしろ結末こそその回収されぬ要素の筆頭だと言えよう

*2:「破片としての萌え」に関してはいつか書きたい