マブラブに思うⅡ


君が望む永遠 DVD specification 通常版


君が望む永遠』の悲劇は愛情と憐憫を取り違えたところにあり、我々おたく少年たちの想像力過多と、にもかかわらずの他者性の欠如がその要因である。それは80年代から続く少年誌ラブコメの系譜のある側面での終着点であって、だからこそ「あの状況選択」は間違いであることを明確にした。すなわち「彼女を切ったら彼女は悲しむだろう」という不遜極まりない主人公=読者の思い上がりは、ラブという物語ジャンルのうわべを滑る言葉とはほど遠いものであって、結局あんな歴史的結末にしかたどり着けなかったことこそが、何よりの証拠としてそれを我々に語りかける。


その高慢。本当に傷つくのは誰かを見つめようとしない臆病、それを受け入れる勇気の欠如、そして”彼女”という独立した他者存在(理解できないものとしてのあなた)の完全無視*1そう言ったものをコメディという言葉で誤魔化していたラブ・コメは、その後半を削除するだけで簡単に破綻する君が望む永遠はまさにそれそのものであり*2、きまぐれオレンジ☆ロード劇場版『あの日に帰りたい』が提示したラブコメの終末劇における、あまりに皮肉なエピローグであった。高慢が生み出す恋愛劇は、恋であっても愛ではない。そこには生や死、美しさへの尊厳は感じられず、ただやり切れない戯画的グロテスクさだけが残る。


理解できないあなた、その存在を認めること、これがどれだけ困難で、また時に残酷であることか。むしろそれはほとんど不可能である――その説を唱えた多くの人々が絶望のあまり刹那に走り、理解できるという説を主張する多くの人々が今も世界で正義を振りかざし合う――そんな世界のただ中で、二人の「理解できないあなた」がすべき事は、おそらく同情の交換などではない(少なくともそんな物語を私はわざわざ読みたくない)。理解できないことを半ば知りながら、それでも何時か分かると信じて互いに約束を交わすこと、これが西欧における愛の概念である。ほとんど無理だからこそ、それは美しい祈りとなり、結婚は人と人との間の儀式でありながら、秘跡の一つにまで高められた*3


鈍感な主人公。理解できないあなたとは、つまるところ我々読者そのものに向けられた皮肉である。常に分かったような顔をして、そのつもりとなって生きている私たちは、主人公と自分を切り離した上で、まるで神のような気分で*4ある時は主人公の鈍感さを貶し、またある時は主人公の成長とやらに満足する。しかし、肝心の私たちはどうなのか。架空のハーレムに君臨し、その中の持ち駒の動きに一喜一憂する我々は、果たしてどの程度成長したのか。かつて我々が希望として求めたラブコメは、今やその欺瞞の息の根を止められた。恋愛に関するおたく系物語は、新しい世界へと踏み出したとも言える。しかし、我々読者は、その認識に付いていくことができているのだろうか。

*1:とは言え近頃の女性コミックのように「理解できないあなた」を理解する努力を完全に放棄して、自らの存在、欲を自覚的に全肯定してしまうのもどうかと思いますが。それではファルさんです。

*2:実際、第1部、第2部に別れていました。どちらがどちらかは言うまでもありません。

*3:カトリック秘跡は神から与えられる神秘的な恩恵であるが故に、特別の理由がない限り解消不能の立場をとる。一方プロテスタントは結婚を秘跡とは見なさない(聖書に載っていないから)。故に教義上離婚は可能である。

*4:多元世界解釈はまさにこれそのもの。世界の外側に立って、すべてを知る(少なくともそうであると思いこむ)立場から、その世界の中のキャラクターの動きを批判的に分析する。当然ながら、その考察が世界の外側にいる自らに跳ね返ってくることはない(跳ね返りようもない)。