智代アフター

智代アフター ~It's a Wonderful Life~  初回特典版


id:simulaさんのところから訪れたまちばりあかね☆さんの感想を読んで、思ったこと。否定的見解です。なおこの文章はまちばりさんに向けてのものではなく、KEYのライターさん、並びに本作自体に対するものですので、念のため。



 「人生のたからもの」。いつまでも思い出が残るよ。強く生きていこう。言いたいことはわかるんです。ただ、あまりにも独善的に感じられてしまうところが、多くの人があの物語を好まない最大の要素なんじゃないかなあ、と私は思います。というのも、もしその主張を展開するのであれば、むしろヒロインである智代をこそ××べきだったのです。その上で、読者の共感対象としての主人公にそれを語らせる=読者に自発的に納得させるべきだったのです。言うまでもなく、あの結末では明らかに視点のねじれが生じています。文章にたとえて言えば、主語が文の途中で入れ替わってしまっているわけで、どうにも落ち着きません。不自然です。


 ではなぜ智代ではなく主人公がああなっちゃったかというと、もし智代が××した場合、多くのプレーヤーは単にションボリしてしまうからです。主人公としての読者はそこから、けして智代の導いたような結論は自然に引き出せないでしょう。考えてもみてください。もしも主人公がのうのうと「人生のたからものだ、暖かい思い出が残ってるよ」なんて言い出そうものなら、ぶち切れて暴れる人まで出ます。そんなの分かってるよ、それでも寂しいものは寂しいんだどうにかしろバーロー…。つまるところ、あの物語にはぜんぜん説得力がないのです。説得力が足りないため、読者の分身である主人公にぺらぺら語らせたら嘘くさすぎてどうしようもない=誰も納得しないので、かわりにとてもとても良くできたヒロインに無理やり語らせた。結果として素直な読者以外には納得できない上、なんだかやたらと押しつけがましいお話になってしまった。


 そもそもこれはファンディスク程度で片が付くようなテーマではなかったのです。どんなに素晴らしい日々を送っても、人は皆死ぬ。思い出だって、共有者の死と共にいつか消える。何もかも消えてしまう。とても空しい。そこに何か残るもの、意味あるもの、生きていく価値、揺るがぬ喜び、そんなものはあるのかな? ああ、あって欲しいなあ。という人々の心からの願い、叫びが、西洋においては永遠の愛である唯一神、東洋においては輪廻に結実した。何千年の歴史をかけて。それをあなた、ファンディスク。無理ですよそれは。結局のところ、本質が智代の成長物語ならば、それだけにしておけば良かったのです。欲張りすぎはダメという好例で、同人作家さんたちもいい迷惑でしょう。