A.F. トルタ

この結末において、結局のところ、彼女を許すことができるのは、読者を除いて他に存在しない。ゆえに焦点は、その「赦し」にどれほどの正当性があるのか、あるいはそれを読者自身がどこまで信じられるのかというところに絞られる。なにせ当事者がいないのだ。そこで当然、残る最後のシナリオは「彼女の思惑」そのものについて(al suo fine)語られることになる。つまり、

アル…姉さん。許してくれるかな

"al fine"とは、実のところシナリオ名などではなく、(上記の問いかけを導く)"「トルタの物語」につけられた演奏記号そのもの"なのである。その返答、乃至は示唆を行うべき最後のシナリオ、それはまさに「フォーニの物語」であり、実際fine(末尾)そのものではあるけれど――そこには間違いなく"da capo"と反復が銘打たれ


――そして、初めから!