al fineとフォーニエンド (あるいは○○エンド)


原点に戻って。





al fine解釈
「私はトルティニタ。そして、あなたを愛してる」

アルとトルタは同じものだと彼女らは思っていた。
ただ、クリスが見分けている=「クリスが選んだか、選ばなかったか」だけだと思っていた。
(DPCのアル、及びアルに化けたトルタの言葉より)

alfineにおいて彼女ら(あるいはトルタ)は、その間違いに、やっと気づくことができた。

トルティニタの宣言は、
「自分は既にアル:トルタの対比においてのみ客観的に捉えられる人格ではなく、私自身においてトルティニタという自覚する固有の人格であり、(自己の確立) そして、その自分こそが、クリスを愛している(能動的行動)」という意味。

トルティニタはクリスの視点に頼らない自己を得たことで、初めてクリスに対して真に能動的な行動に出られたと言ってもよいだろう。


「”私”を、”信じて”」


■雨、涙、根本的な過ちであり、真実なこと
クリス
「僕はずっとアルが好き」 ――天蓋からの雨 天蓋=絶対確信=お約束
だから、トルタを好きなのに、好きになれない→偽り
でも彼は、本当に、アルが好きだった。少なくとも、そう思っていた。

アルとトルタ
「私たちは二人で一人」
だから、トルタは、私はいったい「どっち」なのか、すなわち、「私は誰?」と悩む。
そしてアルになれると勘違いしてしまう→偽り
でも、なれるはずがない。やっぱり、二人は別人だ。

だから、アルは、「クリスが私を選んだのはただ、弱そうだったから」と悩む。
彼にはどっちでも良かったと思いこんでしまう→偽り
でも、そんなはずはない。クリスはアルが好きだった。

でも、二人は一人だった。互いの足りない部分を補い合っていた。
だから、トルタのアルへの変装は恐ろしい程に完璧であり、真実、ほとんど本当だったのだ。だって二人は二人で一人、二人は同じだったから。それゆえに、トルタが書いたアルの手紙、そしてトルタの歌、それらの内容もまた
(「手紙」『秘密』『いつでも微笑みを』)
アルの想いとしても真実なのだと思われる。

つまり、アルは本当に「トルタを信じてあげて」と思っていたはずなのだ。
(同時に、「でも、それは、嫌だ!」とも。)
そして、それこそが、死んだアルの「最後まで言えなかったこと」だったのだろう。
フォーニはきっと、その「最後まで言えなかったこと」を告げるために、残ったのでは。

でもそれは、結局、最後まで言えなかった。
しかし、全て言うのがいつも良いとは限らないのだ。
少なくとも、アルの口からそれを言ってはいけないはずなのだ。
クリスの、恋人として。トルタの、姉として。

フォーニは、アルは最後まで言えなかった。
でも、トルティニタが気づくことで、その最後の願いは叶えられた。
そう、『いつでも微笑みを』は、アルの歌だった。


――彼らに永遠の安息を与えたまえ
「彼ら」。この言葉の意味するところ。
それは「アル」「フォーニ」、この「二人」に対する鎮魂の言葉なのだ。
(あるいは、「アルと、”アルとの対比においてのみ存在する何か”」)

さらに深読みすれば、それは、ここで物語が結末を迎えることで、自然、「本作に登場する全ての人物ら」に訪れるであろう安息を願う言葉でもある。私たちの記憶の中に、彼らが永遠の安息を得られること。つまり、すべてのわだかまりを解消し、笑って箱を閉じられる日が来るようにという願い。


「僕達は音楽を通して、互いに語り合ってもいたのだ」
最後、クリスとトルタが奏でた鎮魂歌、それは『主よ人の喜びよ』ではなかった。
それは本当は、『I'm always close to you』だったのだ。

そしてこのエンドでだからこそ、フォーニは心から
『I'm always close to you』を歌えるのだと思う。

彼らの歌声は、いつまでも私たちの心の中に響き続ける。


■フォーニエンド解釈
死んだアルの願い「トルタを信じてあげて」
けれど、本当のアルの願い「もっと生き続けたい。クリスと一緒にいたい。嘘でもいいから」

alfineでは前者が叶えられ、フォーニエンドでは後者が叶えられた。
トルタは自分とアルとの差異を自覚することができず、アルへ。
フォーニはそのアルとなったトルタへ降り立ち、アルへ。
(つまり「でも、それは、嫌だ!」が、叶った)

このエンドの場合、『いつでも微笑みを』はトルタの歌となる。