シンフォニック=レイン ―― 私の答え
・この世界には、唯一「死」以外に、真実はない
・『偽り』は、幸せな結末を呼ばない
だから、アルは生きかえっては、いけない。
なぜなら
『奇跡』は起こらないから 『奇跡』なのだ
クリスは雨を見ていた。
トルタは、見ていなかった。
他の誰も、見ていなかった。
現実。
現実はあくまでそれぞれにしかない。
自分の現実と他人の現実は違う。
自分の現実は自分のものでしかない。
どんなに認めたくなくても、他人の現実は、自分の現実と同じものではない。
それを無理やりに変えようとすると、歪みが生まれる。
それこそ、ファルやリセ、そしてフォーニエンドに感じられた『歪み』。あるいは違和感。
(彼女らは、『嘘=歌』によって、自分以外の現実を変えようとした)
自分の現実を変えられるのが自分でしかないのと同様に
他人の現実を変えられるのは他人でしかない。
そのために、ただひとつ自分のできることは、
自分の現実を他人に示し、それを他人に「認めて貰えるよう努力する」こと。
つまり、「自分の本当の想いを知り、そして、告げること」。
もちろん、「その想い」は認めて貰えないかもしれない。
しかし、その他に手段がないのだ。
だれもが『「自分の本当の想い」を告げなかったこと』=『偽り』が、
このSRという物語の持つ歪みの本質=雨である。
(そして、アルの事故は単なる運命でしかない。それは悲劇だが、仕方がない。
”誰でも間違いなく、いつかは死んでしまう”。
それが早かったか、遅かったかの違いだけ。
むしろ、私たちが今ここで生きていることこそが不自然であり、奇跡なのだ。
私たちは、悲しむよりも、素直にそれを認め、
生きていることの奇跡をこそ、喜ぶべきなのだ)
結論。
”「真実=どんな人にも絶対に正しい現実」はない。
あったとしても、私たちにそれは知り得ない。
(――「死」以外には)
ただ、「他人と共有できる現実」は、きっとある。
そしてそれは、限りなく「真実」に近づく可能性を持つ。”
追記: なぜ、アリエッタが生きかえってはいけないのか。
この世でただ一つの真実。
それは、「誰でもいつか死ぬ。そして、戻らない」
だからこそ、この物語で
”『奇跡』は、起こってはいけない。”
つまり、「アルは、生きかえってはならない」
だって、それは、真実に反するから。
『そんなの、明らかに嘘』だから。
そして、それを信じようとすること、
それ自体が、『偽り』を生むから。
そして、『偽り』は、幸せな結末を、呼ばないから。
付け加えるなら、一番上の前提条件には、
・「本当の結末」とは「幸せな結末」である
という三つ目の前提条件が含まれます。
それは、極めて主観的な前提条件。
故に、私の説が”真実”になり得ない理由でもある。
しかし…おそらく、「共感可能な現実」程度では、あり得ると思うのですが。