クラナド 杏はなぜ不幸か

端的に言うと「主人公との関係以外に物語を持たない」というのが彼女の弱点なのである。ストーリー上に露出するポイントが主人公との接点においてのみ、というキャラクターは、どうしても立体感に乏しくなる。バックグラウンドが見えてこないからだ。言い換えれば印象が薄すぎるということであり、どれだけキャラクター設定自体が魅力的でも、これでは台無しになってしまう。



■以下推敲している間に混乱して焦点喪失。悲しい■

一般に不幸だ不幸だと言われるのはどちらかというと椋なのだが、彼女にはきちんと「もう一つの物語」が用意されていたので、少なくともこの文脈上の彼女はけして不幸ではない。もちろん彼女のシナリオ(主人公と結ばれる可能性のあったそれ)がどうにも煮え切らないものだったのは確かだが、勝平との物語こそが彼女のメインシナリオである(としか考えられない)以上あれはオマケと見なしたほうが良いだろう。もちろんそこに(プレイヤーにとって)大いなる不幸があるというのもまた確かで、つまり勝平シナリオでウンザリしたのは私だけではないだろう、という意味である。あえてプレイヤーを脇役レベルに落とし込むという構造が与えてくれたのは、ときメモ以来発生した数多の「好雄くん」たちに与えられてきた、ひたすらに空しい視点であった。
ちょっと用語が混乱気味かもしれない。「作品」(多くのサブストーリーと、一つのメインストーリーからなる物語)に登場するキャラクターは、大きく分けて二つの物語を持たなければならない。一つは「属性」を語る物語であり、もう一つは「背景」を語る物語である。属性とはそのキャラクター自身の帯びる”公開された特徴”(女性、可愛い、頑張り屋etc.)であり、背景とはそのキャラクターが抱える”隠された経験”(小さい頃の約束の成就を祈っている、実は無くしたキーホルダーを探しているetc.)のことを指す。そしてこの二つを合わせたものこそ、「キャラクター設定」なのである。
前述の二つの物語は、それぞれ「見えるもの」と「見えないもの」と言い換えることもできる。つまりそれらはそのキャラクターの正面と背面なのだ。もし正面がなければそもそもキャラクターとして認識されないし、背面がなければ、そのキャラクターの存在はまるで立て看板のように薄っぺらくなる。この二つを兼ね備えてこそ、そのキャラクターは作品内でメインキャラクターとしての立場を得るだろう。なお後者は、注意深く、執拗なまでに隠される場合もあれば、物語の進行と共に、あっさりと現れる場合もある。つまり肝心なのは”最初は見えない”ことであって、必ずしも文字通りに「隠されて」いる必要はない、ということである。勝平ルートは、こういう意味で椋というキャラクターの持つ「背景的物語」の一種だと考えることができる。そのため椋は、全体として(良くも悪くも)杏よりもずっと印象的だ。
クラナドという作品の中で、トップクラスに「物語」の少ないキャラクター、つまり背景描写の薄いヒロインこそが杏であり、だからこそ彼女はその魅力的なキャラクター付け(属性)のわりに、作品全体としては消化不良的な感想をプレーヤーに与える、不幸なキャラだと言うつもりだった。のになんだか無茶苦茶だ。けれどダメだ眠い。また今度考えよう。