リコール 3

 当時、僕は付き合っている子がいたし、片道10時間、しかも軽トラで、というのは、さすがに男女が二人っきりで過ごす時間なのだろうか、という懸念はあった。だから、それでもいいという彼女の台詞には、率直に混乱させられた。


 「仕事のことやから。」


 男社会をたくましく歩く、あるいは華麗に泳ぎ回るタイプには見えなかったし、実際、せいぜい愛嬌で、近所のおじいさんから野菜やらジュースやらを貰う程度の生活手腕を誇る程度の子だった。この子、誰にでもこんな風なんだろうか。


 行きはまあ、朝早くに出て、夕方に目的地に着く、という行程だったから、特に問題もなく、地域の名産を訪ねたりしながら、軽トラの旅は進んだ。先方での旅程は二泊三日で、思ったよりもというべきか、予想通りというべきか、現場の人間は少なかった。肝心の合コンは、僕がさっさと酔いつぶれて寝てしまったため、あまり記憶がない。



 彼女の一風変わった風貌と気配は、ミーティングでもやはり人気で、男女問わず、彼女のまわりには常に人がいた。


 彼女自身はそれほど自分から話すタイプではなかったけれど、話者の瞳をじっと見つめて、適度に相づちを打ちながら、わからないところをわからないと聞く姿勢は、おそらくほとんどの対話者にとって、好感と快感を与える。


 そして、彼女が内容を理解したときや、おかしな話題に笑ったとき、その実、笑っていなくても、彼女の顔の自然の造形は、すばらしい笑顔を見せた。


 彼女は理想的な聞き手で、しかも、見る角度によっては、見る人によっては、美人といえなくもない女の子だった。


 僕がぞっこんになるまでにそれほど時間は必要ではなかったし、そもそも、たぶん最初から気にはなっていたのだ。だから、つまり、僕が彼女のことを好きであると意識するまでも、そんなにはかからなかった。



 適当に運転を交代しながら、帰途の軽トラの中で、いろいろな話をした。彼女は先日、職場の車で事故を起こしたとかで、たしかに運転はそれなり丁寧であったけれど、時々信号を見落としたり、一旦停止で止まらなかったりしたので、最後の方はだいたい僕がハンドルを握った。


 「見てた人が通報してくれて、怪我もなくて無事やったんやけど、車は廃車になってしまったし、事務所に帰ったとき、私の顔が笑ってるように見えたみたいで、反省してないのかとすごく怒られたわ」
 「いつも笑顔がすごい素敵やと思ってたけど、弊害もあるんやねえ」
 「笑ってるつもりは全然ないのに、時々そうなるから、笑顔がいいって言われても困るねん」


 彼女の話はそれから、上司にすごく怒られて凹んで実家に帰ろうかと思ったこと、一晩親と泣きながら電話したこと、笑顔ってよく言われるけどけっこういろいろ疲れてるということ、そういえば最近、洗礼まで視野に入れて、キリスト教の教会に行ったこと、まで広がった。


 「マリア様のお参りをする日?とかで連れて行ってもらったんやけど、なんかみんな同じことをぶつぶつ唱えてるだけで、なんか私が求めてるものではなかったわ」
 「たぶんロザリオかなんかのお祈りしてたんやろう。あれは念仏の類やからな」
 「キリスト教、詳しいの?」
 「受洗を考えたことがある」
 「そうなんや。すごい意外や。・・・そうなんや」


 それから、彼女は三浦綾子の小説が好きなこと、キリスト教に興味を持っていること、キリスト教の「神さまは乗りこえられない試練は与えない」という考え方、そして「すべての出来事には意味がある」という考え方が好きだということについて話した。「でも、なんかいろいろ細かいから、仏教の方がいいわって最近思う。」


 そのあと彼女は、ふと「僕さんは、どうして洗礼を考えたん?」と訊ねてきた。けれど、予想外の”趣味の一致"に浮かれていた僕は、問の真意に思いを馳せるどころではなく。


 特に答えらしい答えも返さず、これはもしや運命というやつであろうか、などとニマニマしながら、「もし僕が一人身やったら、今すぐ付き合ってくれって言うのに」みたいな事を言って、いつもの張り付いた笑顔で、ちょっと困ったような顔をする彼女から、それが全否定されないことなんかに満足していた。



 京都に戻ってきたのは夜中の2時過ぎで、僕は彼女の案内で、彼女をアパートまで送った。


 ドアのすぐ後ろにかけられた手製ののれんには、クマのキャラクターのパッチワークと、「友達募集中!」という縫い取りがしてあった。「これ、私が縫ってん。友達募集中やから、僕さんの彼女さんにも友達になってほしいな。」


 そう言う彼女の顔は、いつになく自慢げで、僕は、やっぱり可愛いな、と思うと同時に、なぜか、腑に落ちてしまうものを感じた。二十歳もこえて、玄関の内側に友達募集と貼り出すこの子には、間違いなく、なんかあるんやろうなと。


 その感触は妙にひやりとしていて、若干以上に浮かれていた僕の気持ちに、水をさした。