この日々をありがとう

 「ニコマス好きは箱○アイマスを買わねばならないのだろうか」問題に寄せて


 あんなに明るくて楽しいニコマスも、その奥底には結構真面目な体験があるような気がする。それはもちろん第1に(例えば永井浩二Pのプレイ実況シリーズに如実に見られるような)『アイドルマスター』というゲームの仕様上の残酷さなのだけれど・・・、それと同等か、あるいはそれ以上に、このゲームを遊ぶことのできる年齢に達したプレイヤーの経験を反映したものじゃないだろうか。

 アイマスというゲームは、信じられないかも知れないけれど、感動できるゲームだ。ちょっとないくらいにまっすぐな感触を、割といい歳したプレイヤーにも与えてくれる。最初はみんなそう、テレながら、ゲームだろ? 箱○を買ったのはあくまで『塊魂』のためなんだよ、とか言いながら遊び始める。でも、いつのまにか、精一杯、与えられた役目を果たそうと努力している自分に気付く。

 失敗したら本当に悔しくて、そんな気持ちを感じている自分に、ちょっと面食らう。初めて上手く行った時は、心から嬉しくて、ほとんど泣きたくなる。この体験は本当にユニークだ。「まっすぐ」という名のEDテーマの持つ意味、その重みは、きっとプレイした人にしかわからない——と言い切りたくなるくらいに、ユニークだ。たかがゲーム。なのに、それに向き合う姿勢を変えさせるような何かがある。

 努力しても結果を残せない限り意味がない。このゲームの仕組みは、すごくシンプルで、残酷で、だからこそリアルだ。想像しうる限りの意外性を用意して読者に衝撃を与えるべく目論むどんな創作にも劣らず、アイドルマスターの体験はリアルだと思う。このゲームを遊ぶ一人一人のプレイヤーのこれまでの人生に根ざした、一種の実感がそう告げる。とてもシンプルで、無機質な何かが。

 何度もプロデュースを繰り返すうちに、誰だってコツを掴む。あんなに遠かったランクBも、意外とルーティンで通過できることが分かる。その時、アイドルマスターは単なるゲームに変わる。これもまた残酷な再発見だ。所詮はお遊びだってことが、最初から分かっていた事実が身につまされる。ランクSクリアが出来る敏腕プロデューサーになったって、それで新しい衣装を貰えるわけではない。

 だとしても、その時、「たかがゲーム」に込められた意味は、きっと言葉通りではなくなっている。全て虚構の、3Dアイドルを育成するだけの作業ゲームではあるけれど、それが内包していた世界の想い出は、間違いなくずっと心に残り続ける。シンプルで残酷な日常の一角を占めた、特別な日々の記憶として。たいしたことのできない自分に、ありがとうと言ってくれた人々の笑顔と共に。

 一時ほどではないにしても、相変わらずニコニコで人気を集めるアイマスMAD。それがこんなに明るくて、楽しくて、僕らに笑顔を与え続けてくれるのは、きっとそれがたくさんの、こんな感じの日々を送ったプレイヤーからの、心からの「ありがとう」で出来ているからじゃないのかな、そんな風に今の僕は思う。


ニコニコ動画(RC2)‐IDOLM@STER アイドルマスター まっすぐ 全員verエンディング風


 そしてあるいは、今やニコマス自体が、いろんな「ありがとう」を増やし続けているなら、それはきっと、ちょっと考えられないくらい素敵なことだし、
 ——触れたことのある人ならきっと分かる、アイドルマスターという作品の中の、何か不思議に綺麗なもの。ここしばらく、この界隈では見ることのなかったような、まっすぐなもの。甘ったれた感傷に過ぎないのかもしれないけれど、僕はそれを本当に得難く、素晴らしいものだと信じている。


 THE IDOLM@STER。良いゲームですよ?


 感謝