ハルヒ総括2 ”世界”から見るハルヒの虚無感

本作が恋愛ものであることは疑うべくもないだろう。登場人物としての彼らの心の動きは冒頭のあんよ氏が逐語的に考察しているところで間違いないと思う。ただし、それはあくまで事実としての現象の解読であって、筋の通った舞台裏説明以上のものにはならない。言い換えるなら「好きだからこうなりました」ではそれで終わってしまう。ふうん、そうなのか。ごちそうさまです。という具合に。


解読ゲームという楽しみ方は確かにある。その意味でハルヒは良質のゲームだ。原因があって結果があり、伏線はあくまで丁寧に、ヒントは各所にちりばめられている。答え合わせの報酬はキス。ただし、唯一、なぜハルヒキョンのことが好きになったのか、という根本の一点が明かされない。彼女がキョンを選んだという選択は、この世界の外にある。これでは答えに辿り着きようがない。


ハルヒは(無自覚だと言えど)自分にとって好ましいよう世界を変革できるとされている。これは実際恐ろしい設定で、これを額面通り受けとるのであれば本作はなにもかもハルヒの一人芝居以外の何ものでもなく、当然ハルヒキョンの恋愛劇さえも馬鹿馬鹿しい予定調和に他ならなくなる。もしかすると虚無性というのはそういうことを言っていたのだろうか。だとすれば大いに同感だ。


この絶望的につまらない可能性を排除するためには、①彼女には実は世界を変えてしまう力なんてなかった②彼女には変えられない世界(事象)がある、のどちらかを前提として考える必要がある。一方実際、ハルヒキョンと仲良くなるためにほぼ全ての事象を操作した(少なくともそう見える)。作中の出来事は全てそこに集約された――有希「彼女の行動にはすべて理由がある」の通り。


彼女の行動がすべてキョンと仲良くなるという目的に基づいているのは間違いないとして、じゃあなぜ彼女はキョンを欲したか、という根本的な理由について、本作はその物語内部に答えを持たない。だとすれば本作の内部で答えが現れない「恋愛対象として配置されるキョンという存在」自体が、つまるところ本作内部にあるハルヒ世界にとっての絶対的に外的な要素であることがわかる。


であればこそ「キョンとは何ですか」という問いのレベルは「なぜハルヒがいるんですか」という問いのそれと同義であって、結局「著者はどんな思惑を持ってこの物語を生んだのか」ということになるし、「望まれる存在としてのキョン」が絶対不可侵な外的因子であるとすれば、容易く変革されうるハルヒ世界の存在意義とは、まさにその全てをキョンのために秩序付ける作者の舞台装置に他ならない。


つまり、すべての根源にいるのはハルヒではなく「キョン」という概念であり、実のところ世界の原理はハルヒではなくキョンとなる。考えてみればこの物語が誰にとって一番素敵かと言えばそれはハルヒにとってではない。彼女は「世界はおもしろいぞ」とキョンに説教をされるわけだけれど、面白かったのは彼にとってであって、ハルヒにとっては死ぬほど詰まらなかったからこそ彼女は暴走したのだから。