ひぐらし 最愛の殺人鬼たち

最初に、僕はこの作品の辿り着いた答えには賛成できない。奇跡は起こされるものではなく見出されるものなのだ。ただし本作のうちに『最愛の殺人鬼』というタイトルを見出し、それを幸せな日記であると語らせたのは『ひぐらし』による竜騎士氏の最大の成果であると信じる。最期まで奇跡は起こらず、全ての状況は負の方向へと雪崩をうって崩れ落ちたとしても、彼女は何もかもを投げ打つに足る光を垣間見ることができたのだ。そこに奇跡の入り込む余地はない。もとより著者自身が同意を求めてはいないだろう。言うならば『ひぐらし』そのものが竜騎士氏の幸せな日記であって、それはより多くの読者の幸せな日記を生み出した。暗闇の淵でゴミ山の頂きで、ただ幸せに目的付けられた世界は語られる。そこではあの愛しくて凶悪なキャラクターたちが、生き生きとナタを振り回し、バットで頭を叩き割り、奈落へ肉親を突き落とす凶行と二重写しとなりながら、今日も地獄のフタの上で踊っている。