ハルヒ総括 恋愛劇としてのハルヒの限界

あんよ氏の考察 http://www.puni.net/~anyo/etc/haruhi.html を読んで色々考える。本作の中心であるハルヒキョンの関係を不器用な恋愛模様として、つまり無駄に壮大に世界を捲き込んだはた迷惑なしょうもない(けれど微笑ましい)痴話喧嘩として考察した文章で、キーワードであるらしい「虚無性」というのが今ひとつわからないではあるけれど、この考察のはじき出した総体に異論はない。


ただ、結論として『涼宮ハルヒの憂鬱』という作品を単なる恋愛ものに位置づけてしまったのが気にくわない。二人の関係の読み解きは実に明快で(序盤含め少々ねじくれるが最終的には)、読者としては「そうかそうか、ハルヒの乙女心か」と納得してしまいそうになる。けれど僕はこれはちょっとどうかと思う。あまりに少年誌的で、何というか…あんなに魅力的だったハルヒが所詮少年の理解範囲に収まってしまうのは悲しい。


恋愛としてのハルヒ、それ自体はとても安っぽいし、いかにも男の子の夢、という感じであからさまで、言ってしまえばしょうもない。「世界には面白さが一杯なんだ」「でもあんたが私を見てくれなきゃ意味ないのよ」「OKキスしよう」めでたしめでたし。壮大な物語の結末がこの有様ではまさに犬も食わぬというもので、古泉くんが辟易するのも無理はないわけで、いや、僕はこういうのを嫌いじゃないけれど、何かなあ。


上手く言えないけれど、結論としてはじき出すものが違うような気がする。繰り返しになるけれど、恋愛ものとして見た場合、この物語はしおしおとみみっちいお約束に収束してしまうのだ(実際そうだった)。かといって散らかしたままに物語は終われない。絶対にどこかに収束はさせなければいけないのだけれど…けれど僕はこれを…。ああもう、まとまらない。