某氏日記への微妙なレス

私はむしろシンフォニック=レインという物語がハッピーエンドに辿り着いたことこそ、彼女という存在のまぎれもない印、つまり彼女という存在に意味があったことの、確かなあかしだと思うのです。すべての存在は、その場面において意味を持たなければないも同じ。道ばたの石ころは、目をとめられない限り無きに等しい。なぜならそれは、そこにあったとしても、何の意味もないからです。この観点において、在るか無いかは――言い換えましょう。「彼女はいたか、いなかったか」は全くのところ問題ではない。問題なのは「意味があったのか、なかったのか」であり、その視点において、彼女という存在、その運命、その想いは、間違いなく前者(これ以上なく!)であったと私は確信しています。蛇足気味に付け加えておくならば、「アル」という名前は以上の文脈上、とても示唆に富んでいるのではないでしょうか。