シンフォニック=レイン 登場人物分析

叙述トリック云々については詳しい皆様にお任せするとして、ごく読書感想文的な視点から登場人物分析並びに考察を行います。正直に言って、私はシンフォニック=レインという物語にミステリの視点から光を当てることが、それほど重要な行為だとは思わないのです。それがどんなに衝撃的だとしても、トリックはあくまで仕掛けにすぎません。本作の真の魅力とは、やはり、それぞれに悩めるココロでしょう。読むごとに味の深まるキャラクターたちこそ、素晴らしい作品の根幹であり、作品を素晴らしいものとする可能性です。そしてなにより、この物語に仕掛けられたトリックは、ミステリ畑の産物だけではありません。
■注意■
当然の事ながら、以下は本編の根本に触れます。
未プレイの方は絶対に読んではいけません。
何度も言いますが、それはまさしく人生的な損失です。

以下、白黒反転。

















ほんとに良いのね?























































すべては 皮肉だ。
ファルシータの「偽り」という名も、リセが父親を信じ続けるのも、
そしてトルタが世界を護っていることさえも。














































ファルシータ   …トルタ-虚偽サイド
誰にでも優しく、努力家で、機知に富む、美しい元生徒会長。しかし、まるで冗談のように完璧なファルの原動力とは、孤児であったことに端を発する強迫的な上昇志向だった。反復するアイロニー、それは至高の真実を求めるが故に、触れるもの全てを無に帰す無限否定。ファルにとって他人とは、飛翔のために、仮初めに利用する対象=モノでしかない。彼女は一見人々の中に生きていて、その実何もない世界を疾走しているのだ。音楽世界を登り詰めるために、自分の伴奏者としてのクリスの才能を必要とするファル。一方、無意識のうちに姉妹との重すぎる関係から逃げだそうとしていたクリスは、ファルの目論み通り、あっさりと彼女との恋愛関係に依存する。

何よりも悲しい事に、彼女が本気で愛を囁いていたつもりだとしても、この時点で彼女自身、愛と所有欲を判別しているとは思えないのだ。事実、クリスの類い希な才能が彼の深い悲しみに由来していることを知ったファルは、”楽器”としてのクリスをチューニングすべく、あの二人を、そう、かつて家族同様だった姉妹を捨てたクリスに、たった一つだけ残った絆  .ファルへの信頼  .すら、躊躇いなく破壊する。なのに、ああ、絶望の縁でクリスは、あろうことか、ファルの(彼女本人にすら真偽不明な!)告白を受け入れてしまうのだ。
ファルの乾いた笑い声は、彼に引き留めて貰えなかった自分を憐れんだものなのか、それとも愚かしいほどに優しいクリスを  .そしてそんな彼をも裏切ってしまう醜い自分を  .あざ笑ったものなのか。どちらにせよ、もう戻れない二人(一人と一つ)は、抜群の成績で修了試験に合格。ファルと共に故郷へ戻ったクリスは、アルが既に死亡していた事実に耐えきれず、完全に燃え尽きる。ファルはそんな彼を心から愛おしそうに抱きしめ、微笑みながら、「私はずっと側にいるから」と誓うのだった。・・・それぞれに幸せがあるの。ココロはそこへ向かう・・・

ファルシータとトルティニタは、どちらも数限りない嘘の積み重ねでクリスの世界に干渉していた。「頂点を目指す」「クリスを手に入れる」と、それぞれ具体的な目的は異なっても、第一義の理由が彼女ら自身の目的達成のためであることは異ならない。しかし「クリスを幸せにする」という第二の目的の達成のために彼女らは異なる手段を執る。「優しい嘘をつき続ける」ことを選ぶトルタに対し、ファルは「すべての真実を明かす」ことでクリスを開放するのだ。果てしない深淵が広がる”真理”の世界で、ファルが求めたのは、もう一人の空虚な自分。だからこそ、その願いが叶ったとき、彼女はあれほど嬉しそうに笑ったのだろう。かつて白銀に輝いていた羽を分け合って、二人は、二人だけの高みを目指す。哀しみに満ちた絶唱を、いつまでも響かせながら。


■リセルシア   …トルタ-献身サイド
父であり高名なフォルテール奏者でもあるグラーヴェに献身し、どのように扱われても、どのようになじられても、どこまでも付き従う少女。彼女の心にあるのはかつての父の優しい眼差し。たとえ彼が今は狂気に沈んでいるとしても、彼がもう戻って来なくても、彼女はいつまでも見守り続ける。彼女はそんな、優しい父を愛しているのだから。だが、思い出すべし。彼女が最後に口ずさんだ歌は、けして幸せな歌ではなかったことを。


■トルティニタ   …思い出して、思い出さないで
アリエッタの双子の妹。クリスに対する激しく  .そして報われぬ愛情ゆえに、アルが倒れた三年前からその事実をクリスに隠し続け、結果として彼の独占に成功する。だが皮肉なことに、それこそが彼女の想いを本当に報われないものにしてしまった。既にいないも同然のアルに義理立てし続けるクリスに、いらだちを隠せないトルタ。だがその事態こそ、まさに彼女自身が演出したものなのである。なまじ聡明な故に自責の念も強く、想いのままに進むこともできない哀れな少女。しかしついに、彼女は、以前からアルを装ってクリスに送り続けている手紙を利用し、クリスの想いを操作する。「私のことはもう良いから、トルタを愛してあげて」。

ああ、彼女はまた失敗してしまった。彼女はクリスに、ただ真実を、そして彼女の愛を告げれば良かったのに。そう、彼女もまた、クリス同様  .いや彼以上に、”彼女自身が作り上げたアル”の呪縛に囚われていたのだった。だからこそ(トルタの愛にとって最大の障害であった)アルが死ぬことで、二人の物語は破局を迎える。アルを映す姿見をトルタが割った時点で、彼女らの運命は決していた。いみじくもファル  .もう一人のトルタ  .が「一人では解決できないことは、確かにあるのよ」と語った通りに。しかしトルタがファルと違った点が一つ。そう、実は彼女は一人ではなかったのだ。物語は、あまりにも過酷な綱渡りの末に、かろうじて幸せな結末を手に入れる。そしてal fineまで読み進めた読者なら、ここで最後のトリックに気付くだろう。da capoの三つのGOODエンドという名前こそ、壮大な皮肉だったことに!

(加えて言うなら、この最終シナリオタイトル「al fine」は、Arietta Fineの物語、つまりアルのハッピーエンドなどではさらさらなく、それどころか「AriettaのFine=死」が語られる物語なのだ。そして肝心の、アルのハッピーエンドは、なんと以前我々を散々な目に遭わせた、あのda capo編の内部に存在する…。ここまでやられると、読者としてはもはや脱力する他ない)

クリスとトルタの「ナターレ」の認識の違い。二人で聖堂へ足を踏み入れた時、「この身は汚れた肉、礼拝は肉にとらわれない精神を再確認するための行為」と独白するクリスに対し、トルタのそれは「懺悔」という端的な言葉に要約できる。これらは逆説的に、二人の状況を表している。クリスにとって必要なのは、現実を忘却することではなく、肉である自身を再確認することだった。そしてトルタに必要なそれは、果てなき懺悔ではなく、天にある自分の心がどこに向いているかを確認することだった。二人は二人とも、それぞれ別の方向へ間違っている。だからこそ彼らは、彼ら自身では救われない。

(付け足し。製品パッケージの画像  . 空を見上げるアルと、視線を地に落とすトルタ。この絵は実に示唆に富む)


■アリエッタ   …空の向こうに
物語が始まる三年前から、交通事故で意識不明になっている、トルティニタの双子の姉。彼女は妖精の姿=フォーニへと身を変えて、幻の世界に住むクリスの元へ現れる…否、アルは何もしない。彼女は最初から最後まで病院のベッドに眠り続け、そしてクリスが誰かを選ぶ時、彼女は静かにこの世を去る。こんな切ない話ってあるだろうか。製品パッケージの絵そのままに、彼女の物語は悲劇でしかない。それでもおそらく、彼女は全てを許しているのだ。

いつか終わるのかもしれない 終わりなどないのかもしれない でも
止まぬ雨はない だから いいの いいの いいの…


ここは泣いて良いところですよ。


■フォーニ   …最初で最後の幻
身長約14センチ、その姿はクリス以外には見えず、その声もまた他人には聞こえない。フォーニとは何者か、という問いには、以下の問いが答えてくれるだろう。「なぜフォーニの歌声が他の人々にも聞こえたのか?」 答えは一つしか考えられない。フォルテールとは「心の声を紡ぎ出す装置」なのだ。フォーニとは彼だけの雨の世界で、無意識にアルを求めたクリスの心が生み出した(もちろん、彼の無意識はアルがもういないことを知っている。しかし、彼の心は同時に、その事実を受け入れることを拒む。結果としてアルではないアル、FineならぬPhorniが生まれた)幻像に過ぎない。フォーニが彼の夢想である以上、当然フォーニは誰にも知覚できないし、その声が”彼の想像可能な限りの素晴らしい声”であったのも当然だ。だからこそ彼のフォーニへの想いが高まることで、クリスの心の中でフォーニという人格が強まり、最終的に、フォーニは彼自身の心に住むもう一人の人物として、フォルテールから天使の如き歌声を紡ぐことができたのである。

しかし、その観点から見ると、フォーニとは、完全にクリスの生み出した幻像ということになってしまう。あまりに夢がない。だからフォーニは、いわゆる生き霊となってクリスの元へ訪れていたアルだし、クリスとフォーニの心が一つに混じり合うことで、彼の持つフォルテールを通してフォーニの歌声が発現した、ということにしておこう。それくらいは許されてもよいだろうから。

<<投稿より>>
mkz 『はじめまして。以下、ネタバレになるので、都合が悪ければ削除してください。
フォーニ=クリスの見る幻というのは、私も考えたことがあったのですが、のフォーニの「存在」を示唆する伏線(トルタルートでのニンナさんの挙動、アルの死亡時刻など)があるので、普通にシナリオ通りフォーニ=アル(の生霊?)というのが妥当な気がします。』 (2005/01/23 22:03)

「クリスの狂気の産物、彼が創造した雨の世界は(彼が何らかの魔力を持っていたが故に)、眠り続ける現実のアルの想念を取りこみ、彼女の想いをフォーニとして具現させ、のみならず逆行して現実世界に干渉することまでを許した」あたりが真相かもしれません。こうなると限りなく主観論に近いのですが。


■クリス   …ただ一つ、できることは
優しい雨の世界に閉じこもる少年。だからこそ、彼はリセとファル、そして   .
トルティニタを救うことはできない。それは他の誰かの役目だ。残念だが。


■ニンナ   …見えるものと見えぬもの
05.0203補足
ニンナには「見えない」からこそ「見える」ことがあった。そしてそれこそ、彼女がただ一人(フォーニにも無理だったのに)、あの二人を救えた理由。もう一度、初めから読み直して欲しい。彼女はただものではない。



■人物考察:総括編  … http://symphonic.g.hatena.ne.jp/keywordlist
シンフォニック=レインウェブリング上にて、総括しました。



シンフォニック=レイン
雨、それは神の恩寵。一人では立ち直れない人々を優しく包む嘘。
しかし雨は、いつかは晴れる。そう、誰かが世界を、見守る限り。
symphonic=rain