ウンベルト・エーコ『薔薇の名前』東京創元社


薔薇の名前〈上〉  薔薇の名前〈下〉

私たちの希望や確信とは一切無縁なものとして、この物語を世に送り出すことに、安堵と慰めを私は覚えている。なぜならこれは、惨めな日常身辺の些事を取り扱う物語ではなく、あくまでも数々の書物の物語であって、これを読めば偉大なる模倣者ア・ケンピスとともに、私たちはあの一句を唱えたくもなるであろうから。
"in omnibus requiem quaesivi, et nusquam inveni nisi in angulo cum libro"
アラユルモノノウチニ安ラギヲ求メタガ、ドコニモ見イダセナカッタ. タダ片隅デ書物ト共ニイルトキヲ除イテハ


はじめて読んだのが学部生の頃だったから、今から三〜四年ほど前になる。当時の純真な私はこれにたいへん衝撃を受けた記憶があるのだが、このたび(別段純真でもなんでもなくなってしまった私は)再読してさらなるショックを受けた。作者のウンベルト・エーコさんというのはもともと芸術系の人文学研究者だったくせにいつの間にか記号論の大家になってしまったという謎のイタリア人学者で、この本が彼の小説デビュー作である。
普段の彼の著書はとにかく死ぬほどわかりにくいので、この本が出版された時のまわりの反応ときたらなかったに違いない。といっても登場人物達は相変わらず高尚な理屈をこねまわすから、すべて理解しようとすればギリシア哲学から近代思想、新旧聖書と聖人伝、芸術史等々西洋思想史を一通り以上に理解していなければならないだろう。しかしそれはそれ、この本の場合、そんなのは「何となく凄そう」という「記号」として理解すれば問題ないのである。つまり「なんだかわかりにくいがなんとなくわかる」のが、彼の他の学術書とは決定的に違う。
さて内容は、アドソなる修道士が書き残した13世紀イタリアの修道院で起こったある事件の手記を元に、16世紀のさる著名な修道士が編集した古文書を、20世紀に偶然発見した匿名の学者(もちろんモデルはエコ自身)が現代語で書き下した…、という言葉で説明するには少々ややこしい物語で、簡単に言えば13世紀イタリアの修道院で起こったある事件の物語である。この「ある事件」というのは完全にミステリで、主人公であるところの修道士見習いアドソが、彼の師匠であるところの修道士ウィリアムと共に、山間の修道院で引き起こされる悲惨な事件を解決する、というのが物語の表向きの筋。
表向きといったからには裏向きの筋もあらねばならず、これは物語の中では犯人の真の動機として語られる。もちろんミステリはミステリとして十分に面白いのだが、エコが真のテーマとして配置したこの秘密の小道具たるや、私たち人文系人間にはもうどうにもたまらないアイデアなのだ。まさかそう来たか!と背中がゾクゾクすることを請け合う。反面、あまり西洋思想史に興味がない向きには、この点で消化不良を起こすかもしれないが、前述の通り、「何となく凄そう」という風に理解する仕掛けがあるので、深く考えなければ大丈夫。これは凄い。本当に凄い。読まないと嘘。