『Civil Society』和訳メモ

国富論』は、一切の拘束から解き放たれた、個人による私的利益の追求についての経済的・倫理的な激しい議論を生み出し、同時に「economic man」によって構成される市民社会の到来を告げた。この偉業の意味するところは筆舌に尽くし難い。我々は既に、そういった活動(私的利益の無制限な追求)への長年の共和主義的な疑念や、何らかの手段による公共性への意図的な導きによってそれらには調和がもたらされるべきであるという多くの意見を見てきた。スミスの業績の偉大性は、私的利益の追求が結果として自動的に公共善へと向かうという、市民社会を導く市場理論をこれまでになく明確に提示したところにある。「意図せざる結果の法則」は、私的利害追求主義が(公共善に)もたらす(と考えられた)ダメージを和らげようとするファーガソンの努力によって提示されたものだが、スミスはそれを反対の視点から用いたのである。もはや利己心は思いやりと共存せず、貪欲は慈悲心と共にはなかった(=かくして思いやりや慈悲の心は必要とされなくなり、利己心のみを持って貪欲に活動することが是とされた?)。今や富、そして経済的優位獲得への衝動は、市民社会に存在するすべての行為の源泉となった。“彼自身の利益に適うか否かの判断、それこそは資本家が、彼の資本をどれだけ雇用に、農業に、また工業に、あるいは特定の商業分野の卸または小売業に投資するかの、ただ一つの基準である。資本家は彼が持てる資本をこれらのうち何に投入するかによって、異なった量の生産的労働力を稼働させることができるし、また土地と労働による社会の毎年の生産に異なった価値を付け加えることもできる。しかしそういった事象は、彼の思考の中にはけして入り込まない。”