Guareschi, Don Camillo:MONDO PICCOLO 1.Peccato Confessato

 ドン・カミッロ 第1話:告白された罪


 ドン・カミッロはズケズケ物を言うたぐいの人物で、村に不潔なごたごたが——年取った財産家と若い女性の間で生じるような——が起こった時には、ミサの最中、初めはごく一般的に、品の良い説教をしていても、ある瞬間、つまり彼が最前列にその不道徳な当事者の一人を見つけ、彼らが一目散に逃げていってしまうと、話を止めて、脱ぎ捨てた僧衣をわけも分からず主祭壇のキリストの磔刑像めがけて投げつけたあげく、腰に両拳を突き立てて、彼一流のやり方で、そう、大男の口から出る、雷鳴のような、教会の天井が抜けるほどの大声をもって、演説を終えるような男だった。


 そんなわけで選挙の時期が来ると、地域の左派候補たち*1は、彼に対してこのような明白な手段で意思表明を行った。というのも、ある美しい夜に、ドン・カミッロが何とも言い難い表情で司祭館に戻る途中、肩を覆うマントを身につけた男の影が生け垣から飛び出し、70個の卵の入った大きな包みをハンドルから下げて自転車を運転している彼が自由に動けないのを幸いに、棒きれで強烈な一撃を見舞って、そのまま大地に吸い込まれるように姿を消したのである。


 ドン・カミッロはこのことを誰にも言わなかった。司祭館に戻り、卵を大事にしまった後、悩みを抱えた時彼が何時でもしているように、キリストと相談するために教会に行った。


 「どうすればいいんでしょう?」と、ドン・カミッロは尋ねた。
 「水で十分泡立てたオイルを少し背中に塗って、黙っていなさい」と、祭壇の一番上からキリストは答えた。「私たちを傷つけるものを許さなければならない。これは決まりであるから」
 「それは結構なことです!」。ドン・カミッロは抗弁した。「しかし、ここでは棒きれの一撃について話しているのであって、冒涜についてではありません」
 「つまり、何が言いたいのだね?」。キリストは囁くように彼に尋ねた。「もしや、肉体にもたらされた被害は、精神に対する侮辱よりも辛いのだと?」
 「その通りです、主よ。目下の問題は、彼らが、彼らにとっての使徒である私を棒きれで殴ったことです。彼らはあなたを傷つけたのです。私はやります。私のためというよりも、あなたのために」
 「さて、では私はお前にとっての神への使徒ではないのかね? そして私は、私を十字架につけた人々を誰であれ許したのではなかったのかね?」
 「あなたほどもっともな意見をいう人は他にいませんとも・・・」。ドン・カミッロは会話を締めくくった。「あなたの意見はいつも尤もです。どうかみ心が行われますように。彼らの罪を許しましょう。けれどもし、私が黙っていることで連中が増長して、私のかぼちゃ頭をかち割るようなことがあれば、それはあなたのせいですからね。旧約聖書の数節を引用しましょうか、つまり・・・」
 「ドン・カミッロ。この私に向かって旧約聖書を語ろうというのかね! 後のことはすべて私が引き受けよう。しかしここだけの話、ちょっと殴られたのはお前にとって良かったのだ。こうして神の家での政治的振る舞いというものを学べるのだから」


 ドン・カミッロは謝罪した。しかしただ一つ、一体誰が自分の背中をなでなでしたのだろうかということについての好奇心が、まるで喉に引っかかった鯉の小骨のように、釈然としないまま彼の心に残るのだった。



        *        *        *



 時は過ぎ、ある夜遅く、告解室の中にいたドン・カミッロは、格子窓の向こうに、極左グループのリーダー、ペッポーネの顔を見かけた。

 ペッポーネが告白に来ることは、開いた口がふさがらない程度には嬉しい出来事だったので、ドン・カミッロは素直に喜んだ。


 「神があなたと共にありますように。兄弟よ。君には他のどんな人よりも神の聖なる祝福が必要だ。最後に君が告白しに来たときから、ずいぶんになるんじゃないか?」
 「1908年以来です」とペッポーネは答えた。
 「君のその素敵なアイデアがこの28年間に犯してきた罪について、考えてみるといい」
 「ええ、はい。たくさんの罪を」。ペッポーネはため息をついた。
 「例えば?」
 「例えば二ヶ月前、私はあなたを棒きれで引っぱたきました」
 「それは深刻だ」。ドン・カミッロは答えた。「君は神の使徒を攻撃することで、神を侮辱したのだ」
 「それについては後悔しているんだ!」とペッポーネは叫んだ。「それと、俺は神の使徒としてのお前をぶん殴ったんじゃない。政治的対立者としてぶん殴ったんだ・・・殴りました。心に魔が差したんです」
 「ではこのことと、君があの悪魔的な党に所属していることの他に、何か重い罪は?」
 ペッポーネは沈黙のあとで、告白した。


 結局はたいしたことでは無かったので、ドン・カミッロは彼に20回ばかし主の祈りから聖母マリアへの祈りまで*2を繰り返す償いをするように言って、それらを精算した。それから、ペッポーネが罪の悔い改めをするため膝台に跪いている間に、十字架の下に行って跪いた。


 「イエス様、許してください。けれど、彼に悔い改めをさせずにはいられないのです」。ドン・カミッロは言った。
 「まったくそんな必要はない」とキリストは答えた。「私は彼を許しているし、お前も彼を許さなければならない。結局のところ、ペッポーネは良い男なのだ」
 「イエス様、アカの連中を信じてはいけません。やつらは詐欺師なんです。ペッポーネだって、ほら、バラバ*3みたいな面をしているでしょう?」
 「普通の顔だろう。ドン・カミッロ、お前の心は毒に蝕まれているな!」
 「イエス様、もしも私があなたに良く仕えているなら、一つお願いがあります。どうか燭台の大ロウソクで彼の背中をぶん殴ることをお見逃しください。たかがロウソクで、ですよ? イエス様」
 「だめだ」とキリストは答えた。「お前の両手は祝福のためのもので、殴るためのものではない」


 ドン・カミッロはため息をつき、一礼すると聖堂を辞した。もう一度十字を切るために振り返ると、跪いて祈りに没頭するペッポーネの背中が見えた。
 ドン・カミッロは両手を合わせ、キリストを見つめながら、「当然の報いだ」と呻いた。「よし私の両手は祝福するためのもの、しかし、両足は違う!」
 「それもまた真なり」。祭壇の天辺からキリストは言った。「だが、一度だけだぞ」


 キックはまるで稲妻のように放たれた。ペッポーネは瞬きもせずそれに耐え、やっと解放感溢れるため息をついて、言った。
 「これを10分間待っていたんだ。気分がずっと良くなったよ」
 「私もだ」。今や快晴の空のように晴れ晴れとして、心に裏腹のなくなったドン・カミッロは、大声でそれに答えた。
 キリストは何も言わなかった。けれど、彼の表情もまた、満足そうに見えたのだった。


 了


第二話へ


おまけ
 「Cさんは続き物記事を書きたがるとても悪い癖がある、というのもCさんは非常に飽きっぽいからだ」としばしば敷居さんに言われる僕ですが、火浦功程度にはきちんと続き物を完結させている自信があります。だいたい。たぶん同じ程度には。


 で、そんな僕がここで訳しているドン・カミッロは、モンド・ピッコロ(小さな世界)という副題のついた(ドン・カミッロはシリーズもので、かれこれ5作、英語で出版されたわけのわからないものも含めると10作程度のボリュームがあります)、計38の短編を収録したタイトルのうち最初の一篇。短気で粗暴なカミッロ・タロッキ司祭(ドンは敬称です)と、実は昔気質の左翼ペッポーネ、そしてアドバイザーとしてのキリストの顔見せが行われます。


 

 ポー川流域の低湿地、すなわちパダーニャ平野の一部分が環境にあたる。正確に言うなら、これは私の定義だが、ポー川ピアチェンツァから始まる。
(モンド・ピッコロ序文より)


 舞台はまさにモンド・ピッコロ、つまり作者グワレスキの定義によれば、ピアチェンツァからアドリア海にむけて拡がる、ポー川流域平原のどこかです。1952年から65年にかけて撮影された映画では、BRESCELLO(ブレシェッロ)という、マントヴァ県と境を接する、レッジョ・エミリア県の北端の街がロケ地となりました。


 
 向かって左がドン・カミッロ。右がペッポーネ。街の入り口に立つ巨大な看板。


 イタリアの穀倉、豊かな農業基盤に支えられ、また各種の工業基地を抱えた、イタリアで最も裕福な地域であると言っても良いこのエリアを舞台に、進歩的で理性的な共産主義者と、頑固で短気で信心深い聖職者が仲良く喧嘩するという構造は、一方でイタリアの身内びいきを微笑ましく描いたものであり、また一方で、結局はキリストのアドバイスを受けるドン・カミッロが必ず勝利するという予定調和なのだ、と、僕にこの本を薦めた大学購買の偏屈な社会主義者のお爺さんは、愛用のステッキを振り回しながら(彼の機嫌を損ねた学生はこの棒きれを振り回されて店内から逃げ出すはめになる)、つまらなそうな顔で、しかし熱く、非常に聞き取り辛いパルマ訛りで語ってくれたものです。


 元気にしてますか、アレッサンドロ爺さん。



*1:訳注:ピオ11世の回勅『ディヴィニ・レデンプトリス』(1937年)に見られるように、当時のカトリック教会は共産主義を公然と目の敵にしていたので、この物語においてその構図は司祭vs左派候補の形で描かれる。余談になるが、聖書を拠り所とし神の理性に正しさの根拠を置くカトリックと、資本論をバイブルとし人の理性にそれを置く共産主義の対立する、しかし類似した構造という切り口は、現代まで続く幾つかの問題に関して興味深い説明を与えてくれる。西洋文明において宗教の及ぼす影響は我々の想像を越えて根深い。

*2:訳注:両者ともにごく一般的なカトリックの祈り。前者は「天におられるわたしたちの父よ」で始まる有名なあれであり、後者は『マリみて』でおなじみのロザリオを用いる際に繰り返される定番の祈り。天使祝詞とも言う。

*3:訳注:イエスの代わりに放免された盗賊。