京都アニメーション

京都アニメーション褒めっぱなしですけど、僕がこの会社を好きになったのが、『フルメタルパニックふもっふ』ってアニメからなんですね。もちろんテクニックもあったし、構成も上手でしたが、なにが一番良かったかって、絶対パンチラしないんですよ。どんなに際どい瞬間でも、絶対に見せない。


こういう、なんていうか美学というか、こだわりを持っていることって大事だと思うんです。なにせ、そのころってアニメにせよ漫画にせよ、何かあれば女の子は犯されるし人は死んだわけです(たぶん今でも同じでしょうけど)。どっかおかしいぞ、ということをなぜ考えないのかなあと思っていたからこそ、この制作姿勢に惹かれました*1


結局のところ、彼らは自分が今やっていることにとても自覚的だからこそ、表面上のストーリーと、その底に沈んでいる本筋を描き分けることができるのだと思います。意味というか、意志というか、いつもそれぞれの作品の中で、それが持つ目的へと向かうベクトルが、しっかりしている。だからぶれないし、破綻しない*2


とっても論理的に、筋道を立てて考えられる人が中にいるんでしょう。しかも、ただの理屈屋ではなく、いつも魅力的な方向へと物語の目的ベクトルを向けていけるような人が。それこそはセンスであって、才能なので、誰にでもマネができるわけではない。ただし、その制作姿勢そのものは学習対象になりうるし、むしろそうすべきだと思います*3

*1:だから僕は、フルメタルパニックTSRに大きな違和感を感じました。正直言って、あれはやっちゃいけなかったと思います。以下の段落とは少々矛盾するかもしれないけれど、失敗は失敗。自分のやっていることへの自覚を少しでも失うと、こういうことになってしまう。ことに、死を扱う場合においては。

*2:そう、京都アニメーションの何がえらいって、どんな仕事を引き受けても、自前で(それなりに)そのお話の終わりを用意するということです。作画テクニックだけでは物語は終わらせられない。それは前世紀末にGAINAXが痛々しいまでに証明してくれました。

*3:で、結局それが何かというと…。残念ながら現時点では説明できる状態にありません。ただ思うのは、彼らの話の上に自分の話があるのではなく、自分の話の上に彼らの話を載せていくのだ、という意識は必要だろう、ということです。さてさて、この文章自体はどうでしょうか。