アイドルマスター 「iM@S KAKU-tail Party」#3 Tequila
僕はアイマスMAD、あるいはそれらを包括するジャンルとしてのニコマスが、本質的に物語であると感じます。それは単に『アイドルマスター』の物語ではなく、実はあらゆる関係者の物語であって、だからこそ、「どのPが」「どのタイミングで」「どんなMADを」リリースしたかに対し、視聴者は意味を与えずにはいられないのだと思うのです。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1496646 ??P 「風待ちジェット」 坂本真綾
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気がついてない 君はまだ
昨日さえ変える力が ふたりにあるってこと
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大事にしてるメモリー それもいいけど
時は流れ 言いたいことはつまり もっと楽しいこと きみに起こるよ
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この手を 手をとって 一緒に行こうよ 手を 手をのばし 風掴むんだ
手を 手をとって こわがらないで 手を 手をつなぐ そして飛べる きみとなら
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気がついてない 君はまだ
世界さえ変える力が 愛にはあるってこと
花見川@ニコニコ部 アイマスMADが初音ミクよりも注目されない理由(とアイマス宣言)
http://nicovideo.g.hatena.ne.jp/ch1248/20071110/1194682591
ニコマスとは結局、作り手と受け手の間に展開されているドラマに他なりません。その本質はMADではなく、2者の関係の中に生まれ、変わり続ける物語です。つまり、アイマスMADとはこの両者を繋ぎながら、同時に物語の現在を表出する「現象」だと考えてはどうでしょう。言い換えるなら、作り手と受け手に共通する愛の形を取ったものがアイマスMADであり、それは単体でも美しいものですが、他の2者の文脈から切り離されては存在できない。その意味で、ニコマスというかつてないエンタテイメント――萌えも燃えも愛も希望も笑いも挫折も感動もある、歌って踊る万能文化アイドル空間――を構成しているこれら3者の総合は、(良くも悪くも)ニコマス三位一体とでも呼べるものです。
一方、初音ミクですが、「色の薄さ」が強く主張されていることからも理解できるように、いくら3Dミク動画が投稿されているにしても、それがアイマスMAD的なドグマチックな共通の背景ストーリーに根ざしているわけではないことに留意する必要があるでしょう。ニコマスが本質的に連続ドラマなのに対し、ミクは本質的に音楽であり、あるいは呟きなのだと考えれば、単純に人気の多少を比較するのは少し無理のある(あるいは無体な)ことのように僕には感じられます。ともあれ。
??Pの作品、本当にお見事でした。思い入れ補正がMAXに効いているとしても、このタイミングでこの動画のチョイスには、他に言葉が思いつきません。「もっと楽しいこと きみに起こるよ」「世界さえ変える力が 愛にはあるってこと」。なんて素敵で、前向きで、憎らしい選曲でしょう。まったくもう、敵わないなあ。