シンフォニック=レイン

工画堂スタジオ シンフォニック=レイン愛蔵版

アクセスを辿ったら「トルタ至上主義者のアル抹殺計画サイト」とか書かれていてこっそり(`・´ω`・´)。確かに非常に押しつけがましいサイトですが…。この期に及んで私がまだ一つ言うとしたら、上記の様に考えている方には、「アルはクリスとの関係をどう考えていたのか」をもう一度考えて欲しいのです。もちろんそれぞれ嗜好はありますから、どのキャラが好きだとか、どの結末が好みだとか、そういうのは理解できます。例えば私はファルさんが大好きです。ただ、それとは別のところで、この物語のヒロインは間違いなくトルタですし、そして何より、彼女やフォーニのおもい、言葉、行いを通して、この物語の中ではほぼ全く描かれることのなかったあのキャラクター、本当の『アル』という少女の強い想いと、その存在の持つ真実の美しさを、私たち読者は手に取るように、まさに「本当に存在するかのように」感じたはず。だからこそ、一切語ることのない『その少女』は、一体、どのように考えていたかについて、もう一度だけ。


その上で、アルとクリスが結ばれることに、どれほど意味があるのでしょう? と私は問いたい。もしそれが、アルの本当の願いなのであれば、そこには確かに意味がある。しかし、もしクリスが想いを偽ったままで、そしてアルもまた想いを偽ったままであるならば? 本当にアルとクリスが結ばれることは、ハッピーエンドなのでしょうか。私にはそうだとは、全く思えない。それどころかそこでは、アルの本当の想い、トルタの本当の想い、クリスの本当の想い、そのいずれもが満たされていない(必要であれば、過去の考察を参照のこと)。故に、その結末に意味があるとしたら、それは「クリスとアルのため」の結末ではなく、「それを望む読者のため」の結末としての意味のみでしょう。そうなればこそ、あのフォーニエンドというあまりにももやもやしたエンディングに対し、その山積みの違和感に対し、気付かないふりをして、目を瞑っていられる。だって、あれは変だ。普通の人なら、そう思うはずです。


私の主張をまとめると以下の通り。クリスはトルタが本当に好きだが、人を愛することへの極度の恐れから、常に彼女を避けることを選択し続けている(故にトルタを避けることができれば、誰とどうなろうと構わない)。アル(フォーニ)はクリスの恋人であり、またクリスのことが本当に好きだが、クリスの本当の想いを(そして自分の命が長くないことを)知っているので、それではいけない=クリスにはトルタと結ばれて欲しいと考えている(だからこそ、フォーニエンドにおいてさえも彼女は旅立つ)。トルタに関しては言うまでもなし。以上の三つの要素から私の導くハッピーエンドとは、クリスとトルタが結ばれるというものでした。上の文脈において、彼ら3人全ての願いが叶うのは、真トルタしかあり得ない。確かにあの結末は寂しい。寂しいですが…。どうあろうと、人はいつか離れる。ならば強く愛し、愛されたまま、世を去れる程の幸せは、たぶん他にないでしょう。私は信じます。あの結末は間違いなく、トルタにとってだけでなく、アルにとってもの幸せな結末…シンフォニック=レインという物語が持ちうる、最高のハッピーエンドであると。

アルはいつも、トルタとフォーニを通して、私たちに話しかけていた。彼女たちは三人で一つであり、その中心にあるのは間違いなく『愛』そのものだった。…トルタの言う通り。


(そして蛇足を付け加えるなら、彼らの信じる宗教において、世界の終わりにすべての人は復活し、永遠の幸せを生きる。彼らはただ、ほんのちょっと別れるだけのこと。それは悲しいことではない。だってどんなことにも必ず終わりは来るのだし、またいつか楽園で、もう何も悲しみのない世界で、再会は約束されているのだから)