まとまりのない台風の日

hajic2004-10-20

こんなに台風がどんどん来る年でも京都市内はほぼ被害なし。台風に限らず生まれてこの方、自然災害が市内に大きな被害を及ぼしたという話は聞かない。せいぜい近所の橋が通行止めになったであるとかそういう程度である。一方我が家を襲った最大の被害はほぼ10年前、築数十年を過ぎて劣化の激しかった物干しの樹脂製トタン屋根が台風の強風によって半分吹き飛ばされた事件だったが、この屋根は元々千切れかけていたから半分も残ったことに家族一同かえって驚いたくらいだ。
京都市内人の多くは台風をあまり恐れていない。具体的には「とりあえず雨戸を閉めようか、でも面倒だしなあどうしようかな」級の警戒レベルである。実際、たとえ他地域にどれほど強烈な被害をもたらす台風でも(伊勢湾台風の時がどうだったのかは知らないが)、市内にはろくなダメージを与えない。強い台風が来たと言っても、長くて数時間雨風が強いくらいで、下手をすると普通の嵐の方が激しかったりする。そもそもほとんどの台風が京都を直撃しないし(直撃コースでも露骨な進路変更を見せる)、したとしても猛烈に勢力を弱めてあっさり通過してしまうから、台風に対する恐怖心などというものが少しも醸成されない。
もちろん台風やその手の自然災害が起こらないのは素晴らしいことなのだが、どうもこの京都市内の無敵具合は怪しい。なにせ数時間前までまっすぐ京都へ向かっていた大型台風が、大阪上空あたりで突然90度近い進路変更を見せて三重方面へ抜ける、あるいは瀬戸内から兵庫県を北上して日本海へ、などという状況が多すぎるのだ。その後のニュースで台風通過後の該当地域の惨状を流すのを見るたびに、あああれはやっぱり強烈な台風だったのか、来なくてよかったよかったと実感するが、ではなぜそれが京都に来なかったのかという点がいつも疑問なのである。
なぜなら「京都は平安遷都以来の風水都市だからだ」なんて話がある。風水とは中国伝来の総合環境コーディネート理論、つまり方角や建物や家具や色やなんやをあれこれ考えて最適な環境を構築する実践知識で、その対象は幸運のキーホルダーから国家鎮護までと幅広い。あんまり便利なので以前少し流行っていたが風水マウスはどうかと思う。○ーベルはそんなことばかりしているからダメなのだ。もう少しまともな製品を作りなさい。いっそ会社自体に風水を導入したらどうか。ではなかった、この中国4000年の風水理論に基づいて開発された街がつまり京都市であり、そこで展開される非常に強力な風水結界が台風ほか様々な災害を寄せ付けないのだ、という理屈。
こんなのは理論でも何でもないただの思いこみなのだが、案外そうかもなあと思わせるところが京都市の不思議だろう。実際台風はこないし、以前の関西大震災の際の被害もほぼ0、古くは空襲の難を逃れたし、全般的に沈滞する関西経済の中で優良黒字企業を比較的多く抱えているのも京都市である。特に何もしていないのに他地域から妙な憧れを持たれてみたり、蒸し暑くて肌寒いのに無闇に旅行者が多かったり、大学がやたらと立地していたり、とヘンテコな(かつプラスの)特性は枚挙にいとまがない。言い換えれば京都市というのは不自然に強運なのである。それが風水かどうかはわからないにしても、やはり何かがあるのではないか。