アニメ「月がきれい」6話を見て

新たな世界の入り口に立ち 気づいたことは1人じゃないってこと
挿入歌 レミオロメン『3月9日』より

 1話(小太郎、茜が好きになる)、2話(茜、小太郎に好意を持つ)、3話(小太郎、茜に告白する)、4話(小太郎と茜、付き合う)と猛烈な速度で進んだ物語ですが、近年稀に見るロマンチック回の5話を経て、新しいステージに入ったようです。
 5話のラスト、二人の関係について焦点が絞られていたクール前半戦のクライマックスに、(まるで水を差すように)千夏から届いた「安曇くんが好きになっちゃった」のメッセージは、6話からの展開の先触れだったんですね。
 6話、全体によそよそしさみたいなもの、なんかそういうの感じませんでしたか。言うまでもなく、この回では、それぞれの活動が順風満帆とは行かないことが描かれていて、一種のストレス回であるのは間違いないのですが、単純に、いわゆる物語的カタルシスのためのストレスというわけでも、なおさら、そのストレスで不安にさせられたというわけでも、なさそうに思えるのです。
 中学三年。二人がそれぞれわけのわからない人に直面し、これまで経験してこなかったような困難に当惑する6話。実に、前話のラストでは、千夏のメッセージが二人だけの幸せな世界をぶっ壊しています。6話とはたぶん、二人が外の新しい世界に、とても陳腐な言い方をするなら、社会みたいなものに向き合い始める、物語のターニングポイントでした。
 すごく健全で、とても自然な展開。まるで教科書みたい。「かくあるべし」と嬉しく感じる反面、この肌触りのよい物語が、これまで描いてきた夢みたいな二人の世界を躊躇なく後にして、断固先に進んでいこうとすることを知った寂しさみたいなのを、僕は否定できないのです。ちょうど、茜に彼氏ができたと聞いた時の父親みたいに。


【おまけ】
・茜から大会の結果のline来なくて、ついに自分から送ったメッセージが「会いたい」だとか、これはもう比良の出来が悪いんじゃなくて、パーフェクトコミュばかり引く小太郎がチートキャラなだけ説
・大人からみると悪意を持って振舞ってるとしか思えない千夏も、案外「正直なのは常にいいこと」と思い込んでるだけの中学生なのかもしれないし、友人がつきあってる相手と知らずに好きになったのなら付き合ってると聞いたときに諦めもつくけれど、付き合ってると知ってて好きになった場合、もう告白して断られるしか諦めるタイミングないと感じてるのではないか、それにしたって「友達だから」の流れで手を握った状態で告白していい?って訊くのはどう考えてもずるい振る舞いで、常に正直に振る舞うポリシーが相手の気持ちや立場を顧みない行動の言い訳になってるところもあるんじゃないか、でも中学生だもんね