「とんでもなくロクでもない運命」の紡ぎ手 スティーブン・キング

グリーンマイル―シナリオ対訳
スティーブン・キングなる人物の名前を聴いたことがあるという人に比べて、彼の小説を読んだことがあるという人はそれほど多くないようだ。キング原作の映画、スタンドバイミー(時々タイトルの解釈で喧嘩が起こる)やショーシャンクの空に(刑務所のリタ・ヘイワース)を見たことはあっても、それがキングの作品だとは知らない人がわりと大勢いる。これら映画の知名度に比べると、小説家としてのスティーブン・キングの認知度は意外に低い。なんだか気の毒である。
なにせかろうじて一般に知られているキングの肩書きはホラー作家。これがいけない。どう好意的に解釈してもあまり高尚なそれではないのだ。イメージが悪い。だって普通「アメリカ」で「ホラー」などと言えばジェイソンかチャッキーかアダムスファミリーか何かを想像する。「悪魔のゲロゲロ盆踊り」なんかを想像する人もいる。中にはナイトメアー・ビフォア・クリスマスを思い浮かべるような夢見がちな人もいるかもしれない。が、少なくとも「この世界に神様はいるのかしら」などというふざけた小説を書く作家だとは思わない。
事実彼の物語にはほぼ毎回何かしら非現実の要素が登場する。それらはしばしば実に露骨な形で表現され、つまり(文字通り)何らかのモンスターとして(文字通り)登場人物に噛みつくものだから、そう言う意味で彼の作品をホラーに分類したくなる気持ちはわかる。ただし、キングの作品の中で最も恐ろしいものはけしてモンスターではない。モンスターは現れるし、超能力も発動する。しかし最悪の事態を導くのは必ず一連の些細な偶然であり、それに対する一連の選択ミスである。そう、ささいな偶然の連鎖が延々と、しかも正確に悪い方へ向かうこと、それこそがキング作品がホラーたる所以なのだ。
登場人物達に割り当てられる過激な運命、これは表面的にはモンスターであったり陰謀であったりするけれども、それらは結局のところ要素でしかない。つまり細菌兵器は漏れなければ怖くないし、宇宙船は埋まったままならば問題はなかった。*1 偶然がドミノ式に楽しい方向へ転がるのはコメディだが、逆の場合それは紛れもなく「呪い*2である。普通はそんなことはあり得ない。しかし「最悪のケース」はいつでも起こりうるし、それが4回も続けば大抵の場合に事態は破滅的だ。キングはこのことを克明に、しかも生々しく描く。彼の小説はちっとも怖く(horror)はない。ただ恐ろしく嫌な(horror)物語なのである。
そんなスティーブン・キングは、恐ろしく嫌な物語の名手として、恐ろしく嫌な物語を相当数量産した。しかし「恐ろしく嫌」なまま終わってしまうとお話として収まりが悪いので、たいていの場合九回裏に奇跡を起こし*3事態の収拾を図る。しかし悲しいかな、彼はやはり恐ろしく嫌な物語の紡ぎ手であって、嬉しく楽しい物語のそれではない。両者をさっぴくと殆どの場合「嫌な物語」になってしまう。結局キングの小説のほとんどは「やたらに長く鬱陶しくカタルシスの足りない嫌な話」に仕上がり、人気も下がる。イメージが悪いのでたまに『スタンド・バイ・ミー』みたいなのを書いてもなかなか認知してもらえない*4。ドツボである。ああ気の毒だ。
気の毒なのでこっそり応援をしようと思ったのだけれども、気がつけばもうこんな時間。


■次回予告 【キング独断的傑作選】
スティーブン・キングは素晴らしい。正確に言うとスティーブン・キングはごく稀に凄まじく素晴らしい本を書く。普段は素晴らしくどうでもよいくだらない本を書く。『ショーシャンクの空に』なんかを見て感動した人がうっかりそんな本を掴んだら気の毒でならないので、独断的にスティーブン・キングのお薦め小説をリストアップ。何の役に立つかは別にして非常に役に立つこと請け合い。ちなみにStephen Kingと書きます。

*1:前者は『スタンド』、後者は『トミー・ノッカーズ』他にも「きちんとトイレに行っておけば(『トム・ゴードンに恋した少女』)」、あるいは「小遣い稼ぎに実験に参加しなければ(『ファイアスターター』)」等々いくらでもある。

*2:これについて彼は「奇跡と呪いは根本的には同じ」と著した(『グリーンマイル』)。”誰”が起こすのかはわからないし、もちろん”誰”も責任を取ってくれないが、どちらも理由なしに降り掛かってきて、理不尽かつ甚大な影響を及ぼす。迷惑きわまりない。

*3:短編は例外。事態は収束せずそのまま終わる。カタルシスもへったくれもなくとても後味が悪い。が、大変面白い。キングは明らかに短編の方が上手だ。

*4:実際の所、スタンドバイミーもとことん嫌な話ではあるのだ。原作を読めばわかるのだが…