『R.U.R.U.R』に思う(上)

R.U.R.U.R ル・ル・ル・ル このこのために、せめてきれいな星空を 初回版

R.U.R.U.R ル・ル・ル・ル このこのために、せめてきれいな星空を 初回版

 人工知能を研究する元神学生に、電子回路は意志を持てるのかと聞いたことがある。答えは「無理」というそっけないもので、居合わせた神父様以下信心深い面々はさもありなん創造主の業の妙やかくのごとしと満足げに頷いていた。僕自身としても、現在時点で高度に発達した人工知能の実存問題について悩むことはさすがに肌触りの良すぎるファンタジーだと思うし、人間と人工知能の境界をテーマにした創作を哲学的であるなどと有り難がる向きには、あまりに都合の良い仮定を持ち出すのもどうかと感じてしまう。もちろん権利や倫理に関する思考ゲームとしては一考に値するとしても、存在しない仮定自体について深刻に悩むのは杞憂そのものだし、そもそも、それが人間知性と全く同じなら、考えるまでもなくそれは人間知性であって悩む余地はない。


 『R.U.R.U.R』、R-ヒナギクのシナリオで語られる、戦闘ロボットの原罪という概念。例の三原則のためにロボットは人を殺すことはないけれど、戦闘ロボットだけは例外だ、という話である。命令されれば、彼らは人を殺めることができる、その点において彼らは他のロボットとは一線を画すのだと言う。

 原罪とは「アダムとイブが神の言いつけに背いたことの罪」である。ヘビがいたとか、知識の実だとか、色んなエピソードはあるにしても、とにかくアダムたちはそれまで悩みもなく平和に暮らしていた楽園にいられなくなった。そこでアダムたちが与えられていたものは、神に背くことさえできる選択権だったことが明らかになるのだが・・・・・・エロゲー読者的、健全な青少年的に興味深いのは、どうやら二人はこの事件によって肉体の意味、生殖行為を知ったという事実であろう。楽園追放後の二人は子作りに励み、結果、彼らの末裔として全人類が等しくこの原罪を負うことになる。

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罪の中にわれを、母は生み われ、不義の中に生まれたり。汝は真実をのぞみ、わがかくれたるところに智慧の深さを知らしめたまう。ヒソプをもてわれを清めれば、われ清くならん。われを洗いたまえば、雪より白くならん。

 『miserere』は詩編51に由来する聖歌で、神に対し罪の赦しを願う、一種の泣きわめきである。「ホントは俺は悪くないの生まれが悪いの」と延々言い訳し、最後は神を褒めたおして締める壮絶な歌詞は一度ご覧になっていただきたい。元来システィナ礼拝堂の門外不出だったのをモーツァルトだったかが耳コピして広まったと言う。天才は本当に困る。

我ら、さすらいのエヴァの子は、あなたを呼び、あなたに向かって泣き叫ぶ。この涙の谷で。

 『Salve Regina』は神への取りなしを聖母マリアに願う歌で、日々の祈りの中ではわりとメジャーなもの。マリアは男と交わらずに子をなす上に、母親アンナの腹にいるときから原罪が免除されていた(謎)ので原罪がない(謎)。カトリックの面白いのは、使用できるあらゆるコネクションを駆使して神へのアプローチを行う点である。利用できるものはマリアだろうが聖人だろうが天使だろうが昨年死んだおじいちゃんだろうが使う。変なところで現実派。

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 作中でR-ベニバナが指摘する通り、人間である主人公に逆らってばかりいるヒナギクは戦闘ロボットであり、その属性「選択権を与えられた被造知性」が、創造主に背く自由を持つ被造物としての人間に擬えられていることは間違いない。一方、神学上「選択権を与えられていない被造知性」も存在し、こちらは天使と呼ばれる。人の世の再興を望む一般人口知性たちの影を見ることは容易い。

 人と天使は共に神に作られた魂を持つが、人はさらに肉を持つ。諸悪の根源として名高い肉であるものの、この肉、あるいは体に捕らわれながら、しかし時に正しい選択を行いうる点に人の高貴さがあり、また肉そのものはしばしば誤解されているような悪ではないのだと教会は語る。実際にローマ教会とその組織は「地上におけるキリストの体」と呼ばれるが、さて、歴史などを考えてみると色々と皮肉で面白い。

カトリック教会のカテキズム

カトリック教会のカテキズム

 ともかく、人が選択権によって原罪の罪を犯したように、R-ヒナギクたちロボットも選択権によって人間に背く。楽園追放の結果、人と神との距離は遠くなってしまった。そこで神は人の世にキリストを送り込み、彼の死に全ての人の原罪を肩代わりさせることで人の罪を除く。神は機嫌を直し、人と神はまた親しく語り合えるようになりました、めでたしめでたし、というのはもちろんキリスト教の筋書き。

 楽園でのそれのように無邪気なままではあり得ないにしても、まあ、大人の付き合いができるようになったのは、互いにとってずっと良い。色々と尾を引く原罪も、おかげでこんなざっくばらんな世の中になったのなら悪くない。その辺りも全部織り込み済みなのが神の計画であり神秘だと言われたら、まあよく分からないけど有り難いものだ、南無阿弥陀仏、と言いたくなる。

「人間は悪の誘惑を受け、神の信頼を裏切り、自らの自由を不正に行使して、神の命令に従わなかった。人間は神の命令に従わないことで、自らの良さを貶める結果となった。…人類の一体性により、全ての人はアダムの罪を引き継ぐことになったが、それと同じようにすべての人間はイエスの義をも受けつぐことができた。どちらにせよ、原罪も神秘であり、人間はそれを完全に理解することはできない。」

 wikiからひっぱってきたカテキズムの一節。古くは『公教要理』と呼ばれたカトリックの教科書である。比較的安価な抄写版も売っているので、興味のある方はどうぞ・・・・・・ではなかった、つまるところ「全ては摂理であり善き計画の上にある」という話。『R.U.R.U.R』は色々と不謹慎なゲームだけれど、妙な調和と美しさを保っていて、そこからは一種の信念を感じる。キリスト教を下敷きに、電子時代の曙光で味付けした、一種の福音物語のよう。

 もしも未来、何かのはずみで人口知性が意志を持ったなら、それはきっと素敵なことで、僕らが心配なんかしなくても、どうにか帳尻があうんだろうと思う。僕が生きている間にはたぶん、そんな時代は来ないだろうけれど、今はまだ喧嘩にもならない、出来損ないの人口知性たちだけれど、いつか和解できる瞬間があるといいな。


 「人口知性の世界も神の領域だよね、愛だよね」と言いたかっただけなのに長くなった。しかも締まらない。やっぱりクリアしてない作品の感想を書くのは無理がある。

D

 かくあれかし。