アルカディアに我ありき

Et in Arcadia ego. /Et ego in Arcadia.
arcadiaにすら、私はいる。/私もまた、arcadiaにかつていた。

 最初にEt in Arcadia egoというラテン語があった。その意味は「アルカディアにもまた、私はいる」でしか、ラテン語の文法上ありえない。etはその直後の単語を強め、<〜もまた、〜ですら>の意味を持つ。egoのうしろには、sumが省略されている。つまりこのことばを発している人物は「骸骨」すなわち「死」そのもので、このうえなく平和で幸福なアルカディアの地にもまた、私、「死」はいるのだ、つまりもっと単純化すれば、元来<死を忘れるな>memento moriの一表現だったのである。
 ところがある絵をきっかけにして、意味が誤ってとられてしまうようになった。その絵ではもはや「私」は「死」そのものではなく「死者」である。死者は「私もまたかつて、おまえたちのようにアルカディアにいたことがあったのに」、転じて「私にも何と至福なる時があったことだろう」と、感傷と憂愁に満ちた想いをアルカディアの住人に語りかけるのである。

ラテン語のはなし―通読できるラテン語文法

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