あの歌の言い訳

 僕がラテン語勉強したのは学部時代、第2外語が何単位か必要と聞いて
そんなら何か面白げな言葉を・・・と選んだのが忘れもしないラテン語入門。


 ちなみに、僕の学部ではラテン語が卒業単位に認定されないと知ったのは
留年のお知らせが来てからでした。\(^o^)/


 そうそう、そんなわけで普段の英文訳にもまして適当な、というかむしろ
嘘訳が混じってますがご容赦ください。


 正しい内容が知りたい向きは以下のサイトで英文対訳を見ることができます。
日本語訳もあるにはあるのですが、やはり原語との概念のズレは致命的かと思います。
 良い歌ですよ。


  http://en.wikipedia.org/wiki/Gaudeamus_igitur



おまけ

 ラテン語って面白い言葉で、まず主語が省かれるのは当たり前、
あと語順は気分と語調で決定されます。

 ゆえに、これを読解するためには、ある程度文脈が分かる必要があるという
なんとも循環論法的に難儀な言語に仕上がっていて、大変。

 おかげで意図的な言葉遊びが多数仕込まれているあたり、
もしかすると和歌とも通じるものがあるかもしれません。


 そうそう、それもあってラテン語の文章は、冒頭の数語がタイトルとして使用されます。
上の歌ならGaudeamus igiturですね。

 歌の勉強をした人ならご存じのこととは思いますが、賛美歌のタイトル、
また教皇の発する回勅などのタイトルも同様です。

 先年発布された、"戦う教皇" ベネディクト16世の回勅
『Deus Caritas Est』を例に挙げるなら、Deus(神は) Caritas(愛) Est(です。)、

 賛美歌として有名な『Ave Maria』は(grazia plena... やあマリア、おめでとう…)。
カラオケの歌い出し検索がそのままタイトルになっている感じで大変便利。


 今更な上に、ラテン語をさっぱり忘れた僕がいうのもおこがましい話ですが
ラテン語を勉強したいと思う人は、とにかく活用形を暗記することから逃げられません。
 暗記をなおざりにして進むと、必ずしっぺ返しを食うのは語学全般に共通ですが
ラテン語の場合、名詞だけで三性、それぞれの性ごとに動詞・形容詞・副詞eccと活用する上に
前述したとおり語順が任意ですから、これはもうちょっとしたことばのパズルです。


  ET IN ARCADIA EGO アルカディアにも我はいる
  ET EGO IN ARCADIA 我もまた、アルカディア


 有名なフレーズです。この文章の主語は擬人化された「死」。
上の読み方をすれば、「死は楽園にもあるのだ」という警句であり
下の読み方をすれば、「俺も昔は楽園にいたんだがなあ」という詠嘆になります。
 墓碑銘として絵画に描かれているあたり、嫌味なくらいブラックな諧謔ですね。
同様のニュアンスを、裏表に隠し持つ文章があります。


  Carpe Diem quam minimum credula postero.
  今日を掴め、明日に最小の希望を持って


 「今日を大事に」という意味でしばしば引き合いに出される、ホラティウスの一節。
しかし、よく見ると、実は「明日死ぬかもしれんねんし、好きなことしようぜ」という
美しくも馬鹿馬鹿しさ溢れる文章としても読み取りうることが判明します。いやはや。


 ブログ全盛の今日ですが、2000年も前に、我々のお手本になるような名文があり
それらが案外、日々のあれこれなんかを面白可笑しく綴っているのを見ると、
人間は本当に文章を書くことが好きなんだなあと思わざるを得ません。


 そして、そういうものを遠く離れた日本にいて読める、ということは、
本当に幸せで、不思議なことですね。


 僕らの楽しみは、2000年後に残っているのでしょうか?