真の信仰は疑うことによってのみ生じうる。
ポニーがどうして触手でありメガネで有り得るのか? 有り得ないのか?
この問いを突き詰めたところにこそ、本当のポニーが現れるだろう。

信仰とは信じることだが、何を信じるかはそれぞれの手に委ねられている。
これこそがポニーが我ら尾の民に与えた自由の本質なのだ。

そして、皮肉なことに、信じるという行為は、
疑うという行為と照らし合うことなくしては存在できない。
さもなければ、それは単に何も考えていないだけのことだから。