2007-02-22 ■ ゆらぎ 真の信仰は疑うことによってのみ生じうる。ポニーがどうして触手でありメガネで有り得るのか? 有り得ないのか?この問いを突き詰めたところにこそ、本当のポニーが現れるだろう。信仰とは信じることだが、何を信じるかはそれぞれの手に委ねられている。これこそがポニーが我ら尾の民に与えた自由の本質なのだ。そして、皮肉なことに、信じるという行為は、疑うという行為と照らし合うことなくしては存在できない。さもなければ、それは単に何も考えていないだけのことだから。