落語『たちきれ線香』

僕の最も好きな噺である。主人公は大店の若旦那、世間知らずのぼんぼんの倣い、初めて行った花街で、初心な芸子の小糸に惚れ込む。何せ若さの底なしで、明けても暮れても小糸小糸。流石に見かねた大旦那、相談された番頭の案は100日間の蔵住まい。手紙も何も出せぬまま月日は過ぎ、やっと蔵を出た若旦那が訪れた時遅く、失意の小糸はすでにこの世の人ではなかった…。


あまり笑える話ではない。むしろ悲劇の類なのだが、僕はこの作品に底抜けの皮肉と、苦みと、そんなものを通して、ある種年季の入った深い深い優しさを感じる。いや本当に、全然笑えない話なのだ。皮肉しかないと言ってもいい。笑いどころはただ一つ、しかも最も笑えない瞬間。にも関わらず、この噺を聞き終わったあと、心のどこか暖かくなる。
なにせ幽霊が自ら悲劇に落ちをつけに来るのである。何たる優しさ、何たる皮肉。なぜって普通一般に、幽霊は未練のかたまり。なんだかんだで主人公を取り殺そうと戻ってくるにも関わらず――いや、嘘だと思う人は、とりあえず幽霊(またはそれに類するもの)が登場する手近の創作を参照してほしい、意識的か無意識かは別にして、ほぼ全員目的は多かれ少なかれ大切な人の同類化ですから――この小糸さん、名前からして可愛い、と来た日にはまったく出来過ぎと言って良い。


さて最愛の芸子を死なせてしまった若旦那、三七日の仏前に悄然と、来られなかった事情を話し、どうにも仕方が無かったこととはいえ本当に可哀想なことをしてしまった、ああ許してくれ小糸、最後に贈ったしつらえの三味線哀しく、いくら嘆いても取り返せないものはある。一同しんみりとして涙に暮れようかというところに、突然響く小糸の三味線。
(鳴り物)
ああ、小糸が応えてくれた、遅すぎなかった…。澄んだ優しい旋律に、感極まった若旦那、「わたしは一生妻と名の付くものは取らんで」叫んだところで、弦の音儚くぷっつり途切れる。どうしたことかと取り乱す若旦那に、女将がひと言。もう小糸は弾けまへん、なぜって「線香一本、たちきれました」。いやいや、それは落としていいのか。本当にいいのか、え、いいの?みたいな幕引き。
ちなみに、線香一本いくらが花街の勘定方法で云々、という説明が冒頭にさわりとして入る。さもなければ今日さっぱり分からないこと請け合いの落ちで、あるいは幽霊さえもお金の切れ目が縁の切れ目か、などと取ってみると非常に黒いが、まあこの若旦那、このあと適度に悲しみを抱えて、良い具合の大人に成長しただろうなあと想像すれば、色々ロマンチックな噺ではないか。
実際跡継ぎの若旦那が結婚しないわけにも行かないから、現実は色々あるだろうけれど、それもまた人生。たまには線香の一本位は供えるだろう。Graceful Ghost、余韻の残る佳い落ちだと思う。そう、幽霊はたち切れぬ未練でもあれば、音無しの生の余韻でもある。今一度あの人に会いたいという想いは確かに美しい。それが無理だと理解していればなおさらのこと。
友よ拍手を、喜劇は終わった。