恋のみくる伝説

キリスト教と笑い (岩波新書)

キリスト教と笑い (岩波新書)

僕がハッピーエンド好きなのは案外、ドラマの原体験が落語にあるからかもしれない。最後笑えないというか、どんな形であれ落ちが付かないお話は許せない。むしろ信じられないのである。お約束が破られた、と結構なショックを受ける。などと言うと「また関西人はオチオチうるさい」と思われるかもしれないけれど、吉本新喜劇だけが関西だと考えないで貰いたい。いや確かにあれはあれで手軽なお昼のお楽しみで、いやいや、落ちは本来かなり高尚なもので、古くはアリストテレスも頭を悩ましたし、カトリック神学あたりもその善悪について取り組んだ気配があったりなかったり。大体吉本だってそれほど馬鹿にしたものではなく、あれは馬鹿話なりになかなか健全なのである。少なくとも昼ドラよりかなり精神衛生上健全だ。馬鹿すぎて上を目指せないのと、そのままの狭窄した視野でお上のやることに口だししかねない姿勢は大いに問題だと思うけれど、これは別に吉本タレントに限った話ではない。非常に偉そうである。誰様ですかしら僕は。でも落語の庶民はお上を信頼してますからね。前提として自分が馬鹿なことも承知している。現代の庶民様はもっと自分が馬鹿なことを認識しないといけないと思います。政治家だって悪いことばっかりしているわけじゃなければ、庶民だって良いことばかりしているわけじゃない。立場と責任が違うと言ったって、彼らを選んだ責任は庶民にあるんだから言い訳にならんでしょう。政治家さんたち、頭良いですよ。税制の仕組みとかよく考えたものだなあと感心しますね。庶民様があんまりバカバカ言っていじめるから拗ねて、その優れた頭で小銭稼ぎに走りたがるだけで。政治家さんは意外とかしこい。それを選んだ庶民も思ったよりそこそこかしこい。だいたい、もし彼らが本当にバカならそのバカを選んだのはこちとら庶民様ですから天につばを吐くとはこのことですなあ。誰の得にもならない悲劇的帰結。お上は僕らの知らないことを知っている。かしこい。だから責任がある。つまり偉い。こうやってシステム的にポジティブなプライドを生み出すのが政治腐敗とかいうものへの唯一の対処法だと思うんですけどねえ。それが見てみなさいな、野党のコメントとか本当に下劣ですよ。あれで党首だったりするんだから、もう信じられない。そんな与党に負けた自分はどうなんだ、とか考えが及ばないんでしょうかなあ。負けたのは庶民共がバカだからだなんて思ってるんでしょうなあ。いやですね政治って。陛下早く京都にお戻りになってくださいまし。もうじき御所の梅も咲き始めます。梅にも春の色そえて、チチン、チン。おお、すごいところに辿り着いた。こういうのも自由紀述とか言うんでしょうか。


というわけで僕は今回の日記が比較的許せない。