美少女ゲームという他者性2

見えないものは見えず、語れないものは語れないとしても、見えないものの存在は想像できるし、語れないものの内容は示唆できる。意図された失敗の環としてのADV、その上で動く美少女ゲームという存在が「他者性」を問うという皮肉は、実は酷く真摯な視線による、正当な手段なのかもしれない。