美少女ゲームの中の視点

実にこの意味で僕は『シンフォニック=レイン』を真に恐るべき作品だと思うのだ。なにせそこでは自分自身だと固く信じていたものが、実は「他者」そのものであったことが明かされる。それも他人から見てではなく、まさに自身の中に他者を見出すのである。これに比べれば、世界が乾くことなど実に可愛い。

あるいは、それが語るところでは、多重の意味で、「自身こそが最も重要な他者」なのである。次々に明かされていく「他者の存在」、自分とは全く異なる思惑、時に価値観でそれぞれ行動する他の意識、他者性の存在の暴露自体は、実際のところジャブに過ぎない。

真に衝撃的なのは、それらさえも無意識に欺いて行動する、自分自身の、悲しいまでに巧妙に隠された本質を直視することに他ならなかった。他者を見つめることは、結局のところ、その姿を映す鏡としての主観、絶対に見えない自己座標への立ちかえりの、たった一つの手段だったのである。この皮肉。