『夜の蝉』

夜の蝉 (創元推理文庫―現代日本推理小説叢書)
何が素晴らしいかと言って、世界につじつまが合っていくのだ。それも実に優しく。


僕は「優しく」という言葉を使った。しかし初めには「幸せに」と書いてみた。そして実のところ、そのどちらもが適切に僕の感情を表してはいない。むしろ優しくもなければ幸せでもない誰かの悪意、あるいは何かのさだめは、すらりと「わたし」の日常に切り込み、知らぬ間に傷口を開かせる。けれどこの物語が僕に与えた感触は、やはり「優しさ」であり「幸せ」であり、そして「悲しみ」さえも含めて、何もかもをも包み込むような「暖かな視点」だった。だから、それが踏みつぶされ見捨てられ、ハーレクイン・ロマンス程度にまで落ちぶれているとしても、あえてこの言葉を使いたい。本作を貫く紡ぎ手の意志、それは紛れもなく『愛』――あるいは”それに準ずるもの”である、と。