北村薫『夜の蝉』を読みながら。ページを繰るたびに感じる最大の感触は、この際白状してしまうと、ある種の悔しさである。ああ、本当に悔しいなあ。もちろん僕の専門は文学ではないけれど、それでもやっぱり悔しいものは悔しい。ひっくり返せばそれは我が身の至らなさを痛感し続けていることに他ならず、僕は読書という広大な世界の隠し持つ意味たちのうちのこれっぽっちさえ把握していないのだという誠に遺憾ながらほぼ確定的な事項を、実に皮肉なことにその読書中に文字をじりじりと追うことで推測というか理解というか確信する。時は全てを解決するとは言うけれど。でも本当に、例えば40歳の僕はどこまでたどり着けているだろう。50歳になったらもう少しましになっているだろうか。