教会としてのADV

良く構成されたノベルゲームは教会建築に似ていると思う。それは小さなエピソードから肝要なそれまで、その内部に複数の物語を同時に抱えているのだけれど、振り向けばいつも必ず中央にキリストがぶら下がっているのだ。


KANONなんかを思い起こして貰えれば理解しやすいのではないかと思う。思い立ってドアを開けた人、物語を追う読者の視線は、それぞれ自由に壁や柱やステンドガラスなんかを辿りながらゆっくりと奥に引き寄せられ、その足の歩みに従って小聖堂、ヴォールトの陰、様々な角度から次々と新しい物語の側面を発見する。
ついに辿り着いた交差部では、視点は正面の煌びやかさにすくみ、まず左右の側廊を下から上までじっくり眺めたあと、とっておきの内陣をしげしげと見つめる。金や銀、あらゆる貴重な素材で造られた、神の栄光、あらゆる奇跡と真実、全ての物語の結末を現す豪華な祭壇の中心には、それでもなぜか力なく項垂れる、ただの人が佇む。
その意味の重さや奥深さ、あるいは理解を越えた観念にため息をつきながら上を仰ぐと、一際高い天井にはぽっかりと綺麗な空があいていて、物語を突き抜けた先の自分の世界へと、読者をふいに立ちかえらせる。そうして、視点はそれぞれの感慨を持って聖堂を去り、そこで知った物語をそれぞれ一つの記憶にする。
もしかするとまた来るかも知れないし、あるいはもう二度と来ないかもしれない。他にもたくさん教会はあるから、同じ話をまた別の描き方から楽しむことができる。大きければ良いわけではないし、小さなエピソード、例えばある礼拝堂とか、ステンドガラスだけ好きな教会もあるかもしれない。その辺は好みだし話から外れるけれど。
いつも確かなのは、教会建築がその核に向けて複数の物語を同時に、しかも立体的に展開していること、それらは足元から始まって、頭上の高きまで視線を導こうとすること、そしてそれら全ての中央には、どうにもならない、けれどそれを求めて止まなかった誰かの強い想いが詰まっていること。
外装をケバケバにした聖堂もあれば、地味極まりない聖堂もある。誰からも忘れ去られて消え去ったそれもあれば、人気のないままに慎ましく午後の光を湛える小さなそれもある。ふとそこに立ち寄ったとき、訪問者は一時、ある結末へ向けた物語、その世界の中に旅し、もし望むなら、そこから何か意味を拾い上げることができる。