メルロ・ポンティとADV 3

幼児が社会的な対人関係を結んでいく過程は、けして「もともと孤独な自己が他者との間に架け橋を結んでいく」というようなものではない。むしろ逆で、自己と他者との区別を持たない未分化で融合した幼児の意識が、そこに少しずつ差異を見出して行くことで分裂し、ついに自己と他者の区別を発見するのだ、とメルロ・ポンティは主張する。そして、他者との意志の疎通が成り立つのはこの段階においてである。

もともと人間一般の意識の根源には、「原初の統一」とでも呼べるような自己と他者の未分化な融合状態が存在する。個人は長い時間をかけて、また様々な経験を通して、少しずつこの無秩序な根源の上に区別を与え、それにより高度な模様、意味、つまりは社会関係を浮かび上がらせるのであるが、たとえば病的な状態にあると、人はこの高度な透かし彫り(彼はゲシュタルトを引用する)を失い、その根底にある未分化な状態へと引きこもる。

この文脈において重要なのは、彼の主張が指し示す幼児とは何かと言うことである。幼児は、他者との交流ができないのではない。自分という意識の中にある様々な差異(そんな自分でないこんな自分)を膨らませていくことで、人はいつしか他者という絶対的な差異の存在を感じ取り、この差異の壁を越えようとする時初めて、意志疎通の試み、他者との交流が生じる。つまり、幼児はそもそも他者の存在を認識できない意識であり、それは結局のところ、自分自身を見つめない意識である。