サイコウ 真・トルタエンド

かなりこじつけ臭いのですが、私はこれでいいです。今の私はすこし幸せだから。
なお、かなり、錯乱しています。誰か、整理するための力をください。













■疑問
・なぜアリエッタは死んだのに、フォーニが残ったのか
・フォーニはどうして飛べないのか
・トルタはどうしてアルになれたのか


■前提
a)12/15の時点で、トルタはアルだった
b)フォルテールとのアンサンブルは、歌に込められた願いを叶える

後者について。フォルテールとのアンサンブルは、つまり、歌に込められた願いを叶えること=その結末を導くこと。だが、フォルテールは、その願いの良し悪しを選ばない。そして、この物語には、いくつかの不幸な結末があった。だから、この物語には、歌って良い歌と、歌ってはいけない歌がある。


『雨のmusique』 お願い、アタシヲミテ
Look at me Listen to me
アタシヲアイシテ
誰も知らない心、見抜いてくれたら
Look at me Listen to me

『秘密』と対照的な歌。じっくり歌詞を見比べて欲しい。私を見て、アタシヲアイシテ。と言い続けるファル。その願いは確かに叶えられた。しかし、それは(私たちから見れば)けして…。


『秘密』
あなたの心を知りたい もしも盗めるのなら
ほんのちょっとでもいいから ねえ 私を見て
あなたに心を見せたい いっそ全て言えたら。
好きよ キライよ いいえ 愛してる。

トルタの心をそのまま表している歌。その歌は、(ほぼ)すべて、自分について歌われている。知りたい。見せたい。全て言いたい。愛している。それは昨日最後に残った、「魔法」の謎への鍵。おそらく、魔法に込められた願いは、自分を変えるものでなければいけないのだ。周りを変えようとしてはいけないのだ。



『リセエンヌ』 今を悪いとしておかないと、明日は今より良くならない。
どんな今日だとしても 新しい日々が塗り替えていく
そして明日は希望 夜の空にも星が瞬く

初登場時。リセは自分のすべてを否定しながら、ごめんなさいを連呼しながら、自分の歌について聞かれたときだけ「はい」と答えた。彼女は自分の全てを否定しているが、自分の持つ歌にだけは自信がある。彼女の歌とは彼女の願い、それは嘘。それは「明日は今日より絶対に素晴らしい」という確信。そしてそれを真実にするためには、彼女は常に、今日を悪いものとしなければならない。常に明日が今日より素晴らしくなるためには、今日は常に明日より悪くなければならない。そして、実際のところ、明日が常に今日より素晴らしいわけはない。だから、リセの日々は間違いなく、悪くなっていく。グラーヴェが彼女から歌を取り上げようとしていたことの真実とは、これである。グラーヴェはフォルテニスト。彼は真実を見る目を持つ。彼はかつて、『リセエンヌ』という歌を作り、妻を失った。彼はこの歌の過ちに気づいていたのだ。グラーヴェが彼女ののどを潰し、リセが歌えなかったその間、おそらくリセは幸せだった。しかし、最後に、彼女は再び歌い出してしまう。「どんな今日だとしても・・・」
(あるいは…「ふいにあふれる情熱がある 走る、走るよ 光の向こう側へ」。情熱にまかせて走ることを肯定しているようにも読み取れる。それは彼女の母の生き方であり、それがリセにも肯定されたとしたら。)



『fay』
すべてを許そう 好きなことをして。
みつけて そうよ あなたのありのまま。
青空よ! ほら、見て。 素敵なgift
求めない なにひとつも。Only Love

フォーニのありのままは危険だった。たぶん、全てを許してはいけなかった。そしてそれがもたらすものが偽りの幸せであるがゆえに、それは「ほら見て! 青空だよ!」と押しつけなければならなかった。そして「何一つ求めない」と言いながら「Only Love」を求めている矛盾。フォーニとのアンサンブルは、出来なくなることこそが正しい。『fay』は最後まで歌いきられてはいけない歌だった。ではなぜ、フォーニのありのままはダメだったのか。