書くべきものを決めず書き始めてひどいことになる例

友人がクラナドを始める。私同様彼もビジュアルノベルはあくまで特殊な形式の書籍であってゲームではない、あるいはけしてゲーム的な要素に重点を置くものではないと考えている類の人間なので、つまり送られてきたメールの第一声は「攻略チャートきぼんぬ」であった。そういえば元々チャートを毛嫌い、というほどでなくとも初めから見るものではないだろうくらいには思っていた私が、新作を手にするなり頭からチャート通りに読み進めるようになるきっかけとなった罪深い作品は、かの『家族計画』である。
どうにもわからないことに『家族計画』というゲーム、凄まじく一般(といっても実は逸般なのだが)評価が高い。ところが正直に個人的感想を述べればこのゲームはひたすら退屈な駄作に過ぎない。まず無駄に長い。たまに挿入されるキャラクターごとのサイドストーリーを見るためだけに、おばはんのスクーターのごときスピードしか出ない既読スキップ(たぶんこれが最大の問題だ)を活用しながら、何度あの共通部分を読み直さなければならないのか。それも、けして爽快感溢れる物語でもないのに、である。
次にキャラクター達があまりにアンリアルなのだ。主人公からしていったい何にこだわっているのかサッパリわからない。もちろんこだわりは人それぞれ千差万別だから、変なことにこだわる主人公がいたって良い。全く問題はない。しかし、ライターは、そのこだわりを読者に理解させる必要がある。なぜこだわっているのか、どのような背景があるのか、どの程度譲れないのか。そしてそれぞれの説明的描写は、そのこだわりが変なものであればあるほど、説得力に満ちていなければならない。理由も根拠もなく「そういう男だ」と認識できる性格ではない以上、このポイントが不十分なのは致命的。
そういえばリーフの『天使のいない12月』も、同じような問題を抱えた作品であった。あの最初から最後まで憂鬱な物語の登場人物達は、それぞれかなりの(強く負のベクトルを付与された)こだわりを持っている。言い換えれば変人、狂人の類ではあるのだが、この作品のライターは見事にも、ヒロインたちの(少し壊れた)性格付けの根拠となる背景説明を流暢に物語内へ織り込むことに成功した。ゆえに、彼女たちはどう考えてもおかしい(=アンリアルな)行動理念に従ってはいるものの、とても本物(=リアル)らしく見える。のだが、残念なことにこの描写は肝心の主人公には存在しなかったので、せっかくの物語は根本的にアンリアルな要素を抱え込み、読者に違和感を感じさせてしまうことになってしまった。
しばしば忘れ去られているようだが、読者にとって主人公という存在は、通常そのゲームの読了まで一番長く付き合う相手となるので、相互理解が欠かせない。少々わけのわからないヒロインがいても、彼女を切り捨てることは可能だ。しかし主人公自体がわけわからない存在であった場合、読者はどうすればいいのか。『ライ麦畑で捕まえて』の愛読者でもない限り、ひたすら途方に暮れてしまうはずなのである。だからこそ作中の他のどのキャラクターにもまして、主人公自身をリアルに描き、そこに命を吹き込まなければならない(このリアルという言葉が、「現実」という意味ではなく「それっぽさ」を指しているということは今更言うまでもない)。
もちろん、その作品がただの萌えゲー、あるいは抜きゲーであれば話は別で、そもそもそこにリアルさなどというものは必要とされていない、と言うより現実のリアルさとは別のリアルに基づいてそれは演出されるのだから、主人公がどんなであろうが無関係なのだ。それこそ彼がカラスであろうが、無精ヒゲの用務員であろうが。つまり問題となるのはひたすらヒロインの演出であって、主人公サイドは物語のストーリーそのものも含めて切り捨てられる場合が往々にしてある、という意味である。そしてエロゲーというジャンルは本来この範疇に含まれるために、主人公の扱いがおざなりになるという悪癖がそこにこびりついてしまったのは、ある意味自然な流れなのかもしれない。
主人公演出論はともかくとして、『家族計画』の登場人物たちはそろいも揃って足元の演出が不足しているため、その存在性に確信が持てない。幽霊たちが家族を作ろうと励んでいるようなもので、どこから読んでも皮肉か冗談にしか受け取れないのだ。そんなわけで私にとって『家族計画』は嘘くさい上に退屈極まりない精神的拷問器具であった(とここまで書いておいて何だが、確かに時折ドキッとさせる巧みな演出はあったのである。案外落ち着いて読み直せば気に入る作品なのかもしれない)。ともあれキャラクターの緻密な構成と描写は大事であって、特に主人公においてはその作品の生死を分けるポイントであると言いたい。
何を書いていたのか忘れた。ああそうそう、友人曰く「春原との友情論が嘘くせえエエエ」。同感。思わずctrlですっ飛ばしそうになった記憶がある。キャラクター同士が深い関係を結ぼうとする場面を描こうとする時、ライターは自分がそれらキャラクターに十分に説得力のある背景説明を与えられているかどうかを自問する必要があるだろう。さもなければ言葉は上滑りするばかりで、読者はしらけはじめ、私の指はctrlボタンに向かって伸びはじめる。