『True Tears』と『シュタゲ』に見る、お婆ちゃんの呪い

 『True Tears』と『シュタインズゲート』を並べて、雑感を。


*お婆ちゃん効果
 シュタゲのまゆしぃ、ttの石動乃絵、共に祖母を亡くしたことをきっかけに、ある種のシークエンスを引き起こしている。ここではお婆ちゃん効果と呼ぶ。

 肉親との別れを契機に、世界に確かに存在する「人の死」という絶対的な別離への恐怖に直面した子供が、何らかの夢想に閉じこもることで、当面の精神的危機を回避していたという舞台の前景である。


True Tearsの場合
 祖母の「お前の涙をお空に持っていってあげよう」の言葉を信じたことで一旦は救われたものの、祖母は空の上にいると仮想し、再会を期して高み(木の上とか)に登る手段を求めるはめになった石動乃絵。

 慎一郎との出会いを通して、人間的な上昇という次元の存在を知ると共に、彼との別れによって、別離の悲しみを実感した彼女は、ついに、木の上から墜落して現実に激突する。

 人間はお空に飛び上がれないこと、すなわち祖母はもういないということを認めた乃絵は、失っていた涙を取り戻し、ヒロインの座からは転げ落ちたものの、物語の主人公の栄冠を得る。


シュタインズゲートの場合
 一方シュタインズゲートにおいては、祖母の死に憔悴するまゆしぃを見て、彼女がどこかへ行ってしまうのではないかと心配したオカリンがこれを発症する。

 自分を狂気のマッドサイエンティストであると仮想して、その人質であるまゆしぃはどこへも行かせないし、行ってはならないという設定を構築したのだが、彼女はあっさりと逝ってしまう。


*涜神的な選択(と、おしおき)の果てに
 まゆしぃの死、つまり世界線の収束による、不可避の事態の回避が中盤以降のシュタゲの目的となる。他の事象はメール一つでたやすく変化するにもかかわらず、彼女の死という事実だけは、頑として動かない。

 平たく言えば、そこでは「死という不可避」の回避が描かれている。それは「神の創り出した世界」の絶対であり、挑戦は冒涜となるであろう。よって助手ルートの結末では、あのような屁理屈が選択されざるを得なかった。


*意外にも敬虔な教訓
 シュタゲはパラレルものとしては異色である。

 『ひぐらしのなく頃に』を例に取るまでもなく、基本的にパラレルものは、可能世界の数をこなすことで最善の世界の構築を試みるものだ。逆説的に、現状はワーストとされるはずなのだが、あまり気にされない。

 シュタゲを最後まで遊んだ人にとって、それが上のような構造を持つ作品ではないことは明白だろう。アニメも放映中なので詳細は省くが、ライプニッツ好みの世界観である。つまり、ありうるかぎり最良の世界だという。

 結局のところ、死は不可避なのだ。今回首尾よくまゆしぃを救ったオカリンは、果たして次回、何か不測の事態で彼女が再び死を迎える時、あらためてタイムマシン機器を再稼働するのだろうか。

 中年を迎えたオカリンが、糖尿病で死に瀕しているまゆしぃ(中年)を救うためにタイムリープ・・・。これはこれで面白そうではあるものの、たぶんホラーか、よくてコメディ作品となるだろう。


*はた迷惑なお婆ちゃんの呪い
 是非もなき現実の肯定と、もしそれに少しだけ不満があるのであれば、認識を変えれば世界は変わるよ、という、いくらかエヴァンゲリオン風味のアドバイスをもって、幕を閉じるシュタインズゲート

 人は必ず別れを経験するし、そんなときは哀しくて涙がでるものです、とあけすけに語るTrue Tears

 共通するのは、現実とはこのようなものだという、一種の諦観(の脅迫的な押しつけ)かもしれない。好き嫌いはあってしかるべきだろう。だとしても、共に、我々の生きる世界の摂理を、まっすぐに描いた姿勢は評価されるべきだと思う。

 ただし、手痛い教訓を食らいまくって成長したオカリンと、振られたあげく木から墜落して現実の痛みを知った乃絵、それぞれの経験には差違はあるものの、お婆ちゃん効果からの脱却には、なかなかにショック療法が必要のようだ。