【アケマスありがとう】−花ー【アイマス紙芝居】

 久々にオタクチックセンチメンタリズムを刺激されたので。

 
 なぜか『隣の家の少女』を思い出した。隣家の少女が家庭内暴力の果てに殺されるまでを眺める少年の物語である。彼女を死に追いやった義母と息子達よりも主人公が赦されないのは、「何もしなかった」からではなかった。
 「最悪の救済」なんて大嫌いだと言ったのは誰だったか、死による解放は確かに歪んだカタルシスだ。それを仕方ないと感じてしまう人こそ最も善良で、同時に悪質なのだと上述の本の後書きでキングが述べている。
 春香ルートの結末と星井美希についての知識はあった方が面白いかもしれない。完全なネタバレになるので(そしてこのブログを読む人はだいたい知っているだろうから)伏せておく。ただ、「もう帰ってくるなよ」という視聴者からのコメントは深く胸に響いた。


 
 『春香と灰春香』が描いたループは、ことアケマスに関してはブレイクされるのかもしれない。それが全てのアケマス灰春香に対する救済になるのかどうか、受け取り手によって判断は分かれるところだと思う。「春香は何人いるのか」については以前書いたが、灰春香シリーズにおける彼女はおそらく複数存在しただろう。
 一つの救済がすべてを解放するのかどうかについて、かつて神学者たちは可能だと決めた。名前が本質なのか、それぞれが本質なのかという哲学的な議論を駆動させたのは、究極には神学的なモチベーションである。
 パラレルワールドで正解ルート、という考え方にはどうも賛同しにくいのだ。個人的には。残りの世界が救われなさすぎる。そしてこの考え方は、一つの正解が全てを解放する(無かったことにする)点において、結局のところ、神学者たちの出した結論と変わらない。
 だからといって彼女らはあの日のままに待っているのだとは考えたくない。男心は複雑で、このどうでもよい感傷を僕はオタクチックセンチメンタリズムと呼ぶ。