Intimoを読む3 新しい世紀に

 
 1900年代初頭には、成人衣装に幼児化の動きが見られた。女性達はショーツの原型となる短い下履きを身につけた。下着の色はもはや白や黒に留まらず、むしろしばしばピンク色をしていた。ありし日のコルセットは全体的に素朴な姿を見せるようになる。ブラジャーが現れた結果、それは胸部を、腰部から鼠径部にかけてを緩やかに包むガードルへと変化した。そこではダマスク織や入念な刺繍は見られなくなり、かわりに薄手のクレープの透過性を利用するようになる。こうして時代は20年代の自由化に至る。下着とはコンビネーションそのものになった。足の半ばまで届く裾がボタン付きのリードで付けられた一種のスリップは、ショーツとシャツの分離、及びそれぞれの大型化と快適化を運命付けた。カーブのない肉体を必要とするギャルソンヌルックのもとでは、胸を平たくする長いブラジャー”セッラペット”が用いられた。太ももの中程、靴下のぐるりに巻き付けられる、ガーターの使用も広まった。

 30年代の初めに最も使用されたのはスリップだった。絹のショーツから、綿製の、普通は黒か白色の舟形スリップへと流行は変化する。この10年のうち、特に戦争の間、ブラジャーやスリップ、ガーターベルトに特徴的に見られるように、下着は縮小の方向に引きつけられて行く。古めかしい女性肌着は姿を消し、肌にぴったりとした下着が主流となる。このことは、ずっと「上着と身体の間の防壁」というコンセプトに基づいていた下着の、歴史的革命である。筋金入りコルセットのような”快適でない”下着も復活したが、それはごく偶発的で特別な機会、明白に誘惑的な意図によるものに限られた。


 戦後
 30年代の終わり、元々落下傘に用いられていたナイロンは、アメリカのデュポンの工場において靴下や下着の原料となった。この新しい繊維は薄く繊細な生地を生みだしたが、殊にスカートの下に着用される、ぴったりとした、長い下着類には持ってこいであった。ドラマチックな戦時下における衣服の問題は、我々の注目に値する最近の現象の一つである。衣類はしばしばリサイクルされ、下着類は自然、みすぼらしく、また最小限のものとなった。例えば白か黒の、面積の減らされたブラジャーにスリップという具合に。さらにブラジャーの使用は減っていく。レースが不足し、裕福な女性達意外には手に入れることが難しくなったからである。戦争が終わると、モードは息を吹き返したように見える。下着の種類や形態は何倍にも増え、同名のスイス人技術者により1946年に発表され、人気を博したビキニからも強い影響を受けた。

 

 クリスチャン・ディオールは「戦争が女性に均一な制服を与えたのなら、私は女性らしさを回復させたい」というモットーに従い、ギャザー付きパンツやコルセットを復活させた。50年代はまさに、胸と腰の、ピンナップからグラマー美女のそれに至るまで、全てが曲線で構成されたシルエットに言い換えられる、”理想的な女らしさ”という価値の最盛期であった。豊満なバストやスズメバチのウェストを得るために、腰まで届く、まるでビスチェのような形の硬い布地によるブラジャーや、時に脚部も覆い、腰を強く締めつける、胸まで続くしなやかな生地のガードルなどが用いられた。布地の硬軟の使い分けは裁断に関する深い知識に結びついてスタイルの操作を可能にし、ラステックスに代表される、タイトでミッチリした感覚を与える繊維の開発が目指された。ウェストが細くなる一方、ある種の下履きによって、腰部は広げられる。この大きな、スカートを花冠状に保持する機能を持つ下履きが、古いタイプのスリップに入れ替わって登場したことは、まるでコルセットとクリノリンという古い二項式が再び日の目を見たかのようである。