Intimoを読む

 
 女性用肌着の秘密:その夢から誘惑、生地から仕上げ、文化、モード、心理学に至るまで。
 誘惑の道具、欲望の対象・・・・・・女性用下着の頂点は無限の秘密を含む。誰がそれを身につけるか、布地の魔術、仕立ての技術、あらゆる想像。

 上着同様にモードの狂乱やTPOに左右されながらも、内密であり、かつ肉体と緊密な接触を持つために、下着はより自由でより控えめな、より感情の領域に近しい表情を維持している。いつの時代も、そして今日においても、女性用下着の歴史を振り返れば、そこには美学的な根拠と精神的な動機、個人的な理由と社会的な判断が編み上げた、複雑で魅力的な世界を見いだすことができる。自らの肉体に細心の注意を払う、知識豊富で自覚的な現代の女性にとって、下着とは、何よりもまず、喜びである。それを試してみずには、そして、誘惑に用いてみずにはいられない・・・・・・その二つは、本質的には同じことなのだが。


 『Intimo』
 著:ジョルジア・コンヴェルスィ/技術的助言:スザンナ・ズッキ・ピラース
 イデアリブリ出版


 序文
 Intimoという言葉は、空間的な意味で「最奥」を表すラテン語の形容詞intimusに由来する。それは物理的概念から精神的領域へと移入され、やがて個人的な秘密、つまり内面性に関わる表現となった。上記の意味論的なニュアンスは「ある種の神秘と、暴露への欲求を即座に喚起してやまない」上着の下に着けるただの布です布地という意味で、Intimoに関する全てのコンセプトを反映する。手短な省察からさえ、この主題が一連の複雑な問題を含むことが理解される。もちろん、全ての時代で最も議論され、最も禁じられ、あるいはそのために最も魅力的な問題である、性の世界との隣接という面においても。他のあらゆる問題と同様、この現象を理解するために、何がそれを生み、それが時の流れの中でどのように変化していったかを見いだすことは重要である。本書の前半部分ではまず、原型から現在のモデルに至るまで、女性用肌着の歴史に触れる。女性下着の変遷は女性の社会的欲求、つまり彼女らの持つ自らのイメージ、あるいはそうありたいというイメージと深く結びついている。この流れに沿い、一つの章が心理学に割かれる。ここでは挑発、自己満足、そして読者の自己分析にも向く三つの類型について強調したい。感情的な理屈を踏まえて、本書はより偶発的に、実に1日の中でさえ変化する環境の差違に応じた、肉体的な必要性に答えなければならない。この内容については二つの章が、着こなし及び下着の分類のために充てられる。本書の後半では、より示唆的で全般的な観点から、下着類の技術について概観する。構造、モデル、形態、そして下着が使いこなす各種のトリックについてまで、詳細にスコープを当てる。
 本書はモードに興味を持つ人、陰謀が好きな人、衣装という事象に好奇心がある人、女性心理の神秘の世界というあまり舗装されていない道を探検したい人向けの本である。つまり、女性だけに向けられてはいない。


 その起源からルネサンスまで
 二人の女性を現した紀元前3000年頃の薄肉彫りのテラコッタがある。彼女らはそれぞれTバックとブリーフのような衣服を身につけてはいるが、以下に見るように、それらは下着だとは考えられていない。下着は古代エジプトで、貴人達が着衣の際に二通りのテクニックを用い始めた時に発祥した。内側の、すなわち肌に触れる衣服、そして後にギリシアにも渡り、女性下着の歴史の鍵となったシャツの祖先である。ローマ時代にはブラジャーの起源のようなものも現れた。胸を平らにするための皮のバンドはマンミッラーレと呼ばれ、胸を締めつけることなく覆うものはストロフィウムと呼ばれる。ギリシア圏からもたらされたチェストゥスと呼ばれるガードルはウェストを締めつけ、カストゥーラは腰を大きく見せた。ただ装飾のために生み出されたガーターベルトのように、宮廷の女性達は様々な下着を用い、誘惑の手だてを積み重ねた。快楽やセクシュアルな独自性に関わる全てを拒否していたキリスト教主義は、下着を廃止する。一方、中世の女性達は多彩かつ肉体の女性的な部分(例えば腹部)をより強調する下着を身につけた。ルネサンス時代には胸を締めつけるかたいキャンバス地のぴったりとした胴着(バスキーナと呼ばれる)や、腹部を小さくし腰を大きく見せるフープが用いられ、シャツは王族の下着とされた。メディチ家のカテリーナにより紹介されたパンツの使用は、タイツとワンピースに象徴された男女世界の区別を消し去り、古典時代の”男女の差の曖昧な”美学に流行を回帰させた。


近代
 1600年代に入り、ペチコートの流行の前にパンツの風潮は廃れる。女性は上半身以外、上着の下を裸で過ごした。両性の差違を大いに褒め称えるという欲望に裏打ちされ、結果、中世ではあまり使用されなかったコルセットという女性専用下着の使用が一般的になった。モンテーニュはそれを「胸の下から肋骨までを包み、腹部で先細りになって終わる一種のガードルである」と定義している。1700年代には、丸い籐の鳥籠の形で、フープと同じく腰から吊される、パニエレと呼ばれる籠が登場し、”肘掛けなしソファ”あるいは端的に”尻”と呼ばれる、上半身のカーブとの間に調和を生み出すために身体の後部を強調する一種のフープと、同世紀の末までには入れ替わった。フランス革命は他の多くの伝統と同じく、輪と甲冑をも掃除して捨てた。ペチコートは腰の上に戻され、シャツの上に着る軽いコルセットはフィシュと呼ばれる胸を覆うストールに置き換えられた。短いナポレオンの帝政時代、女性はスケスケのチュニックの下にはただ肌色のセーターを着るだけだった。復興の時代から、曲線の味わいが再評価されはじめる。上半身の勝利。胸から腿に至るまでこれまでになく締めつけたことは、ガーターベルトの役割も手に入れる。スカートにふくらみを持たせる、ウェストで結ばれ、花綱で装飾された麻やキャンバス地のパンツ(訳注:真紅の下着を想像すればよいかも)は、果てしない論戦の後、子ども服の箪笥から成人のワードローブに移動した。腰部はのりの効いた、あるいは骨組み入りのペチコート(クリノリーノ)によって広げられた。