テレパシーなら時も場所もかるく越えて不毛な口げんか

 事実と価値の間には直接の関係はないので、あらゆる批評や意見はどこかで論理の飛躍を含む。
「批評など結局は好き嫌いに他ならない」という言い方は、
色々と大事なものを捨ててしまいそうで好きではないが
だとしても、やはり価値付けが好き嫌い、
あるいはそれに類するものにその根を持たざるを得ないなら
その「好き嫌いのようなもの」の基準や理由をできる限り簡明に、説得力を持って説明することが
批評や論考を行う際の、書き手の礼儀というか生命線というか、唯一の希望ではないかと思う。


 などと書いて下の記事を見たら orz