im@s MAD Survival Championship フィナーレに見る現象

im@s MAD Survival Championship FINALE

http://www.nicovideo.jp/watch/sm1761182

アイマス素材を使用しない作品が一位に輝いた事実は存外深刻なのかもしれない。ダンスパターンの陳腐化は以前から話題に上っていたが、この企画に参加した作品の中で手書き作品が他の(いわゆる)アイマスMADを押しのけて最人気の座を奪ったことは、本企画を追跡するようなアイマスMADに比較的大きな関心を持っているファンの間で実際にそういう風潮があることを改めて証明した。おそらく、傾向として、よほど上手に構成されない限り、今後ダンスシーンを主体とした作品がこの逆風をかわすことは難しいだろう。作画力など個人の技能がこの限界を回避するために有効であること、ゆえにアピールに極めて効果的なことにも疑いはない。としても、個人的な意見が許されるなら、やはりダンスシーンあってこそのアイマスMADだと思う。どれほど技術が進歩しても、魅力的なアニメーションが投入されても、アイマスMADが軽やかに踊る3Dレンダリングアイドルへの熱狂から生まれた事実は変わらない。ファンは何時だってダンスの呼び起こす興奮を待っているはずだ。初めてアイマスMADを好きになったとき、誰もが感じたあの興奮がある限り、アイマスMADの世界からダンスシーンが消えることはない。


※あくまで現象についての考察であり、個別作品の内容について主張したり評価したりしているわけではないことを注記する。事実、一位作品の単独リリースが楽しみでならない。おめでとうございます。

※ゆえに、この結果は「アイマスMADにおけるダンスシーンの価値低下」と捉えられるよりもむしろ、『おっホイ。』氏が既に述べている通り*1広義のアイマスMADという概念が『「特定の作品を元にした自作動画の1ジャンル」では無く、「作品発表の場の1形態」になりつつある』ことの喜ぶべき証明と理解されるべき現象なのだろう。

※『この方式は、ニコニコの他の動画系列の企画モノにも充分に流用可能である。アイマスが発端となって築き上げられ そして引き上げた 様々で独創的で優れた才能群を感動を持ってここに記したい』とする『誠天調書』氏のエントリー*2もこのような観点に立つものではないかと考える。

*1:2007-12-01 ありすえP引退に寄せて〜Pさん達応援メッセージ http://d.hatena.ne.jp/MuhKurutsu/20071201/1196518315

*2:2007-12-13 誠天調書 自由闊達な知的創造力が失われた先に http://mkt5126.seesaa.net/article/72522527.html