La Grande Bagarre de Don Camillo



『ドン・カミッロの大騒ぎ』を見る。頑固で考えなしのカトリック司祭ドン・カミッロと、左派市長のペッポーネが仲良く喧嘩するシリーズ。共産主義が大嫌いなドン・カミッロは、いらんことしいの意地悪で、ペッポーネの市長選を邪魔したり、夜陰に乗じて木の棒で殴ったりしては十字架のキリストにしかられ*1、しょげて反省する。
一方ペッポーネはどちらかと言うと真面目な男なのだが、短気なのが災いしてドン・カミッロの起こす騒ぎに巻き込まれ迷惑するものの、息子に「レーニン・リーベロ・アントニオ」*2という洗礼名を付けようとしてドン・カミッロと喧嘩になり、散々殴り合った末に負けた時以来、彼に一目置いている。ちなみに彼の息子の洗礼名は「リーベロ・カミッロ・レーニン」に落ち着いた。

原作はグアレスキ(Guareschi)の『MONDO PICCOLO』シリーズ。イタリア北部大穀倉地帯ポー川流域湿地の一角、「モンド・ピッコロ(小さな世界)」の小さな街を舞台に*3、第二次大戦後のカトリック共産主義勢力との対立を喜劇風に描いた作品で、古きカトリックを代表するドン・カミッロが頑迷で意固地だとすれば、斬新でリベラル、解放された世界市民を吹聴するペッポーネは実は愛国者として祖国万歳と戦った過去を隠蔽していたりして、著者の皮肉な視線は容赦がない*4
とはいえ、結局のところ、キリストが味方しているドン・カミッロに善良なペッポーネがかなうわけもなく、いつも最後はめでたしめでたしとなるあたり、結構悪質なカトリックプロパガンダなのかもしれない。実際バチカンはこのシリーズを好意を持って受け入れたと友人の一人は話していた(裏は取っていない)。
何にせよ面白い。ドン・カミッロは憎めない奴だし、半球の体積の計算ができないペッポーネは微笑ましく、父の窮地をしばしば救う小さなカミッロは可愛らしい。あまり関係ないが、この巻に登場するローマの党本部から派遣されてきた女性同志は情熱的な美人で良い。彼女を振り切るペッポーネは実に不器用で、男らしい。ラストシーンほのぼのとすること請け合いである。

*1:キリスト自らが毎回ドン・カミッロにお説教をするのである。当然カミッロは言い返すが、神の言葉にかなうわけもない。なおキリストにはとんちの才があるらしく、毎回上手いアイデアで彼らの窮地を救う。

*2:リーベロは「解放、自由」の意、アントニオはおそらくイタリアの共産主義者アントニオ・グラムシから借用されたと思われる。そもそも共産主義者が洗礼名を付けに来る、という時点から冗談になっているというのは蛇足か。

*3:映画はReggio Emiliaの街Brescelloで撮影されたが、作者によれば「ポー川ピアチェンツァに始まるが、モンド・ピッコロもまたピアチェンツァから始まる。モンド・ピッコロとは、ポー川からアペニン山脈の間の広い低湿地帯の(どこか)一部のことなのだ。空はあくまで青く、秋冬に霧は濃く・・・(『MONDO PICCOLO』序文)」とされ、つまりポー川流域のどこの街を舞台にしたというわけではなく、どの街でも起こりうること、あるいはヨーロッパ世界の縮図として描いたものと思われる。

*4:ついに下院議員(onorebole)選に立候補することになり、所信表明演説で「万国労働者の団結による国家の枠の超越云々」を主張している最中のペッポーネが、嫌がらせのためにドン・カミッロの流したイタリア軍軍歌に影響されて「祖国万歳、イタリア万歳」などとアジ演説を始めてしまい、大歓声の群衆を引き連れて戦没者慰霊碑まで行進するシーンは本巻の白眉だろう。結局それで彼が当選してしまうのだから著者の皮肉は容赦がない。